遺産や保険金目当てと言われる等。
悪女としてのイメージが強い小室佳代さん。
その生い立ちは壮絶なもので今の性格を作った要因なのではとも言われています。
今回はそんな佳代さんの生い立ちを中心にご紹介させていただきましょう!
小室佳代(小室圭の母)の生い立ちが壮絶!
まずは簡単なプロフィールから。
- 名前:小室佳代(こむろ かよ)
- 旧姓:角田
- 生年月日:1966年8月27日(55歳)
- 出身地:神奈川県藤沢市
以下で詳しくご紹介します。
①藤沢市出身 小学3~4年生の頃に引っ越してきた?
先程触れた通り、佳代さんは神奈川県藤沢市出身。
どこで生まれたのかは不明ですが、一部メディアの報道によると
佳代さんは、亡き夫・敏勝さんの出身地である神奈川県藤沢市に小学3~4年生のころに引っ越してきたという。海からほど近い地域で、佳代さんは地元の市立小・中学校を卒業した。
出典:exciteニュース
と言われており、小学校の中学年辺りから中学卒業までは藤沢市に住んでいたことがわかっています。
②父親は町工場勤務で年収も少なかった?
お父さんの名前は角田国光さん。
そのころ、角田家をひとりで支えていたのは国光さん。高校を卒業後、横浜市港北区内の『東和製作所』の従業員として、定年となる’98年まで勤務していたという。
出典:女性自身
一家の大黒柱として「東和製作所」で定年まで勤務していたという国光さんですが、規模が小さい町工場だったため、収入も多くなかったと言われていますね。
そんな中、国光さんの妻である八十子さんが佳代さんの弟を出産した前後にリウマチに罹り、外出もままならない状態に陥ったことで家族の暮らしも厳しくなっていきます。
普通に生活していくのも厳しい状態だった上、八十子さんの治療費までかかるようになった角田家。
当時の家計状況は相当厳しかったのではないでしょうか?
③母親の病気と宗教で貧乏生活を送っていた幼少期
左が母・八十子さん。右は父の国光さん。
佳代さんのお母さんである八十子さんがリウマチを患っていたのは前述の通り。
身体の自由が利かなくなったことからくるストレスを紛らわせるため、八十子さんは「大山ねずの命神示教会」という宗教団体へ入会していたとの情報がありました。
その新興宗教は「大山ねずの命神示教会」。1953年に“供丸斎”こと稲飯定雄という人物が設立した団体である。関係者によれば、圭さんの祖母にあたる八十子さんは若いころからリウマチを患い、長い闘病生活の中で救いを求めたのがこの教会だったという。
出典:デイリー新潮
この宗教団体、過去に何度か問題を起こしており、メディアは
現在の信者数は80万人(公称)というが、過去には何度か世間を騒がせる事件を起こしている。たとえば75年には、女性信者が教団幹部から乱暴されたうえ、彼女から被害を相談された教祖も、やはり彼女にわいせつ行為をはたらいた。結果、幹部・教祖ともに、不法監禁などで検察庁へ送検された(不起訴処分)
出典:デイリー新潮
という記事を掲載。
この他、神奈川県藤沢市で1987年に起こった「悪魔祓いバラバラ殺人事件」。
当時、その凄惨さが話題になったこの事件。
後に実行犯として捕まった男女がこの団体の入信者(事件当時は脱退済み)だったことがわかっています。
これまでの経緯を踏まえると色々と問題の多い団体であるようにも感じますね。
ただ、宗教を信じるかどうかは個人の自由ですし、病に苦しんでいた八十子さんが藁にも縋る思いで救いを求めていたことは想像に難くありません。
それでも暮らしが困窮している中で宗教団体の入会費、及び、年会費を捻出するのは容易なことではなかったでしょう。
ちなみに一部メディアによると母親だけでなく、佳代さんも入信していたという情報も!
佳代さんが母の八十子さんが入っていた新興宗教に帰依していることがわかりました。『佳代』という名前はこの教団の関係者が名づけ親のようです。(宮内庁関係者)
出典:デイリー新潮
弟さんの名前も教団関係者が名付けたという噂もあります。
家族ぐるみで入信していたとされる角田家。
入会費35000円に年会費大人9600円、子供6000円という当時の佳代さんのご家族にとって決して軽くない負担であったことも事実。
母親が病気になったこと、そして、宗教への入信でさらに追いつめられることになる佳代さん。
この辛く厳しい幼少期が後の佳代さんに大きな影響を与えたのかもしれません。
④高校は相模女子大付属高校
辛い幼少期を乗り越えた佳代さんが通っていたとされる相模女子大付属高校。
この時のことについて当時の同級生は
角田(旧姓)佳代ちゃんは転校生で、おばあちゃんとご両親と弟の5人家族でした。高校からは相模女子大学の附属に進学していたと思います。近所同士だったので、佳代ちゃんの家や私の家を行き来して遊んでいたこともあります(佳代さんの同級生)
出典:exciteニュース
と語っている等。
表現に曖昧な部分はあるものの、親交があった人物の証言と言うことで信憑性は高いと言えるのではないでしょうか?
同高校は偏差値55で全体的には中程度といった印象。
とはいえ、厳しい幼少期であったことを踏まえると並レベルであったなら十分と言えるでしょう。
卒業後は短大に進学。
後に最初の夫となる敏勝さんと結婚することになります。
⑤短大卒業後にすぐに結婚(悪女人生の始まり)
佳代さんは短大を卒業後、すぐに結婚しています。
短大を卒業後の’90年ごろに横浜市役所に勤める敏勝さんと結婚し、’91年に圭さんが誕生した。
出典:週刊女性PRIME
どの短大を出ているのかは公表されていませんが、相原女子大には短期大学がありますのでおそらくは相原女子大学短期大学部に在籍していた可能性が高いですね。
その後、当時、横浜市役所に勤めていた敏勝さんと出会い、意気投合。
短大を卒業後の1990年、まもなく結婚する運びに。
彼女が悪女と呼ばれる人生はここがスタート地点でした。
⑥一人息子小室圭の誕生!英才教育を施しエリートコースへ
そして、結婚から1年後、後に皇族である眞子さまとの婚約で話題を集める小室圭さんを出産。
圭さんは2021年時点で30歳。
3歳の頃からバイオリンを習い始める等。
幼い頃から英才教育を施されてきました。
中学は中高一貫のカナディアン・インターナショナルスクールに通い、大学はICUの名で有名な国際基督教大学を卒業。
偏差値も65と高レベル!
順調にエリート街道を進んでいる印象を受けます。
まさに自慢の息子さんではないかと思いますが、自身、決して恵まれているとは言えない人生を送ってきた佳代さん。
同じような経験を子供にはさせたくない。
その一心で愛情を注いできたのではないでしょうか?
若い頃の貧乏生活が小室佳代を悪女にした?
佳代さんが保険金や遺産目当てで行動する悪女というイメージを持たれているのは皆さんも周知の通り。
ただ、こうして経歴を見てみると辛い幼少期の経験がその後の人生に影を落としているように見えます。
若い頃、お金に苦労してきた佳代さん。
元夫の敏勝さんが亡くなった後、その父親を精神的に追い詰め、自殺に追いやったこと。
その結果、多額の遺産を相続した過去や元婚約者から総額で400万円強のお金を借りて頑なに返そうとしなかったこと。
時には犯罪ギリギリのグレーゾーンと言える部分に踏み込むことも躊躇しなかった彼女。
そのがめつさの根幹にあるのは「お金さえあれば幸せになれる」という考え方なのではないでしょうか?
貧乏生活に苦しんでいた過去を持つ人は普通の生活をしていた人よりもお金に対する執着が強くなりがち。
底辺を経験した人間はそうならないためにありとあらゆる手段を用いるもの。
辛い経験を正しく活かせる人はそう多くありませんし、何より人間はそこまで強い生き物ではありません。
間違いを擁護するわけではありませんが、幼い頃の記憶は後の人生に大きな影響を与えるもので佳代さんも例外ではなかったということでしょう。
まとめ
以上、小室佳代さんの生い立ちについてでした。
幼少期にお金で苦労した佳代さん。
その点は同情できるものの、過去のコンプレックスが今の行動の原動力となっているのであれば、周囲の過熱報道もある意味で因果応報と言えるのかもしれません。
危ない橋を渡るような生き方ではなく、堂々と世間を歩けるような生き方をしてほしい。
皇族と関係を持つ可能性がある方だけにそう願いたいと思います。