2021年6月27日、陸上日本選手権の男子走幅跳の決勝が行われ、
こちらの大会で優勝した橋岡優輝選手がオリンピックの代表に内定しました!
今回は、初めてのオリンピックを控えた橋岡優輝選手の家族についてご紹介します。
実は橋岡選手、父や母を始め、親族に多くの一流アスリート選手を持つ、スポーツエリート一家の生まれだったんです。
【家系図】橋岡優輝の家族構成|華麗なる一族だった!
橋岡優輝選手の家族構成は以下のようになっています。
- 父:利行(1964年1月19日・57歳)
- 母:直美さん(旧姓・城島)
- 橋岡優輝選手(1999年1月23日・22歳)
※年齢は2021年7月時点
橋岡選手には兄弟がおらず、三人家族でした。
そして、橋岡選手のご家族についてですが、ご両親はもちろん、叔父や叔母、いとこまで全員一流アスリートの家系なんです!
こちらは、彼の家族を家系図にしたもの。
華麗なる一族という感じですね!
では、橋岡選手の素晴らしいご家族について、より詳しく紹介していきます。
橋岡優輝の両親|父・母共に陸上元日本記録保持者
こちらが、橋本選手のご両親です。
父親は利行さん、母親は直美さんというお名前です。
お母さん、とても美人ですよね!
お父さんもかっこいいですし、橋岡選手がイケメンなのも納得です。
橋岡優輝の父・橋岡利行
走り幅跳の選手である橋岡選手に対して、利行さんが主に行われていたのは棒高跳。
1980年から90年代に活躍され、日本選手権で7度も優勝された超一流選手だったんです!
棒高跳の自己ベスト記録は5m55。
一時は棒高跳びの日本記録保持者でもあったんですよ。
当時の写真もありました。
こちらは、1987年の陸上日本選手権での男子棒高跳び決勝。
利行さんは、5m40で見事優勝しました。
高身長は父親譲り
ちなみに、橋岡選手、身長183cmと高身長なのですが、これは父親譲り。
父の利行さんも182cmとかなり高身長でしたよ。
橋岡優輝の母・橋岡直美(旧姓:城島)
続いて、橋岡選手の母親の直美さん。
直美さんは主に学生時代に陸上競技で活躍。
出身校は、陸上強豪校の埼玉栄でした。
埼玉栄高校は、2019年時点でインターハイ総合優勝19回、1985~96年まで総合12連覇という不滅の金字塔を打ち立ています。
チーム初入賞のきっかけは、1984年に母の直美さんが100mハードルで優勝したこと。
その後、100メートルハードルでインターハイ三連覇を達成されています。
なんと走幅跳、三段跳、100メートルハードルの元中学記録保持者でもありました。
三段跳び、100メートルハードルで日本選手権も制されていますよ。
直美さんが埼玉栄の歴史を作ったと言っても過言ではありませんね。
かつての日本記録保持者であり、日本を制した二人の子として産まれた橋岡優輝選手、自身も一流の選手になるのは約束された未来だったのかも?
お母さんも当時の写真がありました。
こちらは、1986年にソウルで開催されたアジア競技大会での写真。
この時は、見事銅メダルを獲得されています。
ジェジュンの大ファン
母親の直美さんは、韓流スターのジェジュンさんのファン。
橋岡選手が有名になったら会いたい人で、「ジェジュンさん」と答えていますよ。
橋岡優輝の叔父叔母|陸上に野球のアスリート集団
彼の叔父と叔母も、とってもすごい選手でした。
と言っても、父方と母方どっちかなんでしょ?と思いきや、本当にどちらもすごいのです!
順にご紹介していきますね。
母方の叔父・渡邉大輔と叔母・渡邉良子(旧姓:城島)
こちらの写真の後ろに写っている方は、橋岡選手の叔父と叔母。
母親の直美さんの妹である良子さんとその夫・渡邉大輔さんです。
妹さんの良子さんも、直美さんと同じく埼玉栄高校に進学していて、100mハードルで3年連続の入賞を果たしています。
そして、100メートルハードルで2000年のシドニーオリンピックに出場されました。
姉妹で共にハードル走をされていたんですね。
その両方が結果を残すというのも凄い話だと思います。
そして良子さんの夫である渡辺大輔さんは走幅跳でシドニー五輪に出場!
夫婦揃ってオリンピアンということですね。
お二人の馴れ初めがオリンピックだったり代表合宿だったり、そういったスポーツの場だったのかもしれませんね。
叔父の教えを受けて一流アスリートへ!
中学時代に100メートル走を始めたことから、橋岡優輝選手の陸上人生はスタートします。
中学三年で四種競技で全国三位になるなど、早速才能を発揮。
その後、高校生になった橋岡選手の恩師となったのは、叔父の渡辺大輔さんだったんです!
八王子高校に進学後は、叔父であり元オリンピアンの顧問、渡邉大輔の指導のもと走幅跳を専門とし、高校3年次にインターハイ、国民体育大会、日本ジュニア陸上競技選手権大会の「高校3冠」を達成して一躍脚光を浴びた。
引用:olympics.com
高校で走幅跳に転向した橋岡選手、叔父に教えてもらうというのも凄い縁ですけど、シンプルに元オリンピアンだった方の指導を受けられたことも良かったのでしょう。
高校で更に才能を開花させ、数多の大会で活躍。
高校時にたたき出した7メートル70という記録は高校生歴代10傑に入る素晴らしい記録なんです!
橋岡選手は、その後日本大学へと進学していますが、
叔父の渡辺大輔さんも、八王子高校→日本大学へ進学しています。
恩師と同じ道を歩んで、同じくオリンピックに出場。
素晴らしいですね。
父方の叔父・橋岡和正と叔母・橋岡深雪(旧姓:笹川)
父方の叔父は橋岡和正さん、叔母は深雪さん。
顔画像は見つけられませんでしたが、どちらも野球と陸上で活躍されていました。
叔父の和正さんは、大宮東高校の野球部時代にドラフト候補になるほどの実力の持ち主でした。
一方の叔母の深雪さん、実は橋岡選手の母の埼玉栄中学・高校時代のチームメイトだったんです!
深雪さんもまた、全中200m優勝という素晴らしい成績を収めています。
こうなるともう血のつながりとかもない訳ですが……偶然って凄いですね!
橋岡優輝の従兄弟|プロサッカー選手
続いて、父方の従兄弟(先ほど紹介した橋岡和正さんと深雪さんのお子さん)ですが、2人ともプロのサッカー選手なんです。
こちらの写真は、従弟の大樹さんのインスタグラムにアップされたもので、お正月の親戚の集まりのようです。
集まること自体はこういった行事ごとのみのようですが、
それでも従兄弟同士で共にオリンピックの出場を誓いあうなど、互いにいい刺激を与えあっているようです!
大樹に優輝のことを聞くと、U20世界選手権で金メダルを獲得したことに大いに触発されていた。
優輝と会うことはあまりないというが、それでも「東京五輪には一緒に出られたらいいな」という話をしているという。
引用:NumberWeb
従兄弟お2人についても順に紹介していきます。
橋岡優輝のいとこ(従兄)・橋岡和樹
2021年7月現在24歳の橋岡和樹さん。
2020年シーズンから、アルビレックス新潟シンガポールに所属し、海外でプレーされています。
浦和の下部組織で育った彼は、明治大学に進学。
明大では、サッカー部の副主将を務めました。
明大卒業後、1度サッカーから離れたものの、1年後、再びピッチに戻りました。
Jリーグのさまざまなクラブの練習に参加し、現在は異国の地で汗を流す日々を送られています。
橋岡優輝のいとこ(従弟)・橋岡大樹
橋岡大輝さんは、中学時代から、浦和レッズジュニアユースに入団。
中学2年生のときに、全日本ユース選手権U-15で優勝していています。
埼玉県立志木高等学校に入学すると、浦和レッズU-18に昇格。
その後、日本クラブユースサッカー選手権大会でMIP賞を獲得し、高校3年生のときにトップチーム2種登録選手に登録されています。
学生時代から異次元の才能を発揮していたということですね。
2017年8月に、トップチームデビュー。
その後11月にトップチームへの昇格が発表されました。
2021年には、べルギー1部シントトロイデンに移籍しました。
橋岡大樹も東京オリンピックへ!
2021年6月22日、男子サッカーの東京オリンピック日本代表メンバーが発表。
橋岡大樹選手は、橋岡優輝選手に先駆けて五輪代表入りを決めていたんです!
優輝が『日本選手権で優勝して絶対東京オリンピックに選ばれるから』と言っていたので、期待して待っていると返事をしました
引用:日刊スポーツ
五輪代表決定に際し行われた取材でも、橋岡優輝選手と連絡を取ったことを明かした橋岡大樹選手。
後に優輝選手が日本選手権で優勝、五輪内定を決めたのは前述の通り。
まさしく有言実行を果たしたわけです!
カッコいいですね。
戦う種目は異なる二人ですが、夢の舞台にかける思いは同じ。
従兄弟二人のオリンピックでの躍動に期待です!
まとめ
今回は、走幅跳の東京オリンピック代表に内定した橋岡優輝選手の家族、親族についてご紹介しました。
親や叔父、叔母にオリンピアン含む多数の一流アスリートが存在した橋岡一族。
この度更に二人のオリンピアンが誕生し、一族に更に箔がつきましたね!
橋岡選手は2019年の世界陸上で日本人初の入賞を果たすなど、世界戦の実績は十分。
母国開催のオリンピックで、メダル獲得にも期待がかかりますよ!