2021年7月、東京オリンピックが開幕されますね。
本大会の注目選手の一人が男子陸上の山縣亮太選手。
短距離走の専門で、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは4×100メートルリレーのメンバーとして銀メダルを獲得しています。
今年の6月6日には100メートル走で日本新記録となる9.95を記録!!
勿論東京オリンピックの代表に選ばれています!
今回は山縣亮太選手のご家族について紹介したいと思います。
【顔画像】山縣亮太の家族構成まとめ
山縣亮太さんの家族構成は以下の4人家族。
- 父:浩一さん(60歳前後)
- 母:美津恵さん(64歳前後)
- 兄:昌平さん(2歳上の31歳前後)
- 本人:山縣亮太選手(29歳)
※年齢は2021年6月現在
お兄さんが一人いらっしゃいますが、お兄さんが山縣亮太選手の陸上への道のきっかけだったようです。
それでは、ご家族一人一人見ていきましょう。
【顔画像】山縣亮太の父親・山縣浩一!帽子がトレードマーク
山縣亮太選手の父親は、「山縣浩一」さんという方。
1960年頃の生まれで、現在は60歳前後と思われます。
山縣亮太選手は広島の修道高等学校出身で知られていますが、お父さんも同じ修道高等学校出身。
親子で母校に表敬訪問されたこともあるそうです。
山縣亮太の職業は会社経営の社長
また、広島でスポーツ用品店「ニシヒロ」を経営されていらっしゃいますよ。
このお店は、株式会社「ニシヒロ」による、スポーツ用品の販売店。
株式会社「ニシヒロ」は昭和49年に創業された老舗の会社で、
社員は20名、スポーツ用品販売の他にもスポーツ用品のメンテナンスや学校体操服の販売なども手掛ける会社のようです。
ホームページを見るに、この会社の代表者も山縣浩一さんのようです。
つまり、株式会社の社長さんであるということになりますね。
ということは、ご実家はとてもお金持ちなのでしょうね!
主要取引先はサンフレッチェ広島。
主力商品はサッカー関連の商品のようですよ。
陸上が息子の一番輝く場所
「陸上が自分(山縣亮太選手)を輝かせてくれる場所。
そこにいろんな理論とか、思考とかがミックスされていた。
決して恵まれた体格ではないけど、凄い理論的なものが確立されている」
父親の浩一さんは、山縣亮太選手について、陸上が輝かせてくれる場所だと語ります。
山縣亮太選手は、広島の名門進学校である、修道中学・高校(偏差値70)から慶應大学に進学した秀才。
勉強については、「やりなさい」と悪いところは怒っていたようですが、陸上では怒ったことがないのだとか。
子育てでは「褒め続ける」ことを意識していたそうで、そのおかげかどんどん記録を伸ばていきました。
ずっと叱ってばっかりだと、自己肯定感も低くなりますし、褒めてもらえることが嬉しくて頑張れますよね。
試合に出て一番になって、ほとんど負けることがなかった時は、タイムがいいか悪いか僕には判断基準がなかったんですね。
だから『よかったね』って褒めることはあっても、怒ったことがないんですよ。
だから、陸上を嫌いにならずに済んだ。https://news.yahoo.co.jp/articles/59f1adfca37360341158b6df874dbeae4b75fd71
山縣亮太の曽祖父(父親方の祖父)は広島で被爆死
山縣亮太選手の曽祖父(お父さんの祖父)の話も触れておきたいと思います。
曽祖父である山形貞一さんは、51歳の時に広島の原爆で被曝死しています。
原爆資料館には、貞一さんの自宅の地表が「遺品」として展示されています。
貞一さん=当時(51)=と妻と子ども5人。
郊外への疎開を進めていたが、8月6日は自宅に戻っていた貞一さんと学徒動員で建物疎開作業に出た次男俊彦さん=同(16)=が被爆死した。http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=81549
このことについて、山縣亮太選手の父親の浩一さんは、
「家族にとっては見るのがつらいものだが、被爆前の街とそれを奪った原爆の実態を伝えるためならば、生かしてほしい」
と話しています。
山形亮太選手が帰省する際には、できるだけ家族で曽祖父の貞一さんの墓参りをしていたそうですよ。
【顔画像】山縣亮太の母親・山縣美津恵が美人!
山縣亮太選手のお母さんは、「山縣美津恵」さん。
画像は旦那さんである浩一さんと一緒に写る美津恵さんの写真ですね。
とても仲が良さそう!
美津恵さんは博一さんの三つ年上なのだそうです。
未熟児だった山縣亮太
山縣亮太選手は、予定日より2ヶ月ほど早く生まれたそうで、肺の機能が不全の重症の未熟児だったそう。
体重は、1,730グラムしかありませんでした。
生まれて2ヶ月は集中治療室に入っており、1年間は外出禁止だったそうです。
この外出禁止が解かれた後も、外出先でも緊急入院したりと、かなり大変だったそうなんですね。
「生きるか、死ぬか」といった危険な状態だったこともあり、母の美津恵さんとしては気が気ではなかったことでしょう。
当然、同じ学年の子より体格は小さく、コンプレックスもあったそうです。
現在では考えられないですよね。
そんな逆境を乗り越えて成長できたのも、ご両親の支えがあったからなのではないでしょうか。
山縣亮太と母親はとても仲良し
親子の仲はとても良好の様子。
微笑ましいエピソードも紹介したいと思います。
初任給で梅酒を買う
山縣亮太選手は初任給で美津恵さんの好物である梅酒を買ってあげたいと語られたこともありました。
「こんなに恵まれた母は世界中のどこを探してもいない」
2016年のリオデジャネイロオリンピックで代表内定した際のこと。
所属するセイコー本社での記者会見で、両親への感謝の想いを語りました。
さらに、サプライズで読まれた母親からの手紙には、
「こんなに恵まれた母は世界中のどこを探してもいないと思います」
とあったそうです。
山縣亮太選手も、「母親の言葉は心に刺さります。本当に嬉しかった」と喜んでいたのだとか。
家族の絆を感じられますね。
【顔画像】山縣亮太の兄は山縣昌平で兄弟そっくり!
山縣亮太選手のお兄さんは、「山縣昌平」さんという方。
山縣亮太選手の2歳上ということです。
顔写真もありました。
雰囲気がなんとなく似ている感じしますね!
兄である山縣昌平さんのFacebookでは、以下の写真をプロフィール写真にしていた時期がありました。
この写真は、山縣亮太選手の特番の時に写った幼少期の写真のようです。
また、山縣亮太選手を応援しに、海外まで足を運んでいる様子もFacebookにアップされていました。
兄の職業や結婚は?
2歳上のお兄さんということで、現在31歳前後ですが、どんな仕事をされているのか、ご結婚されいるのかという情報はありませんでした。
ただ、2019年時点で「秋から北海道」という投稿をしていることもあり、転勤のある会社に勤めているのかもしれませんね。
ちなみに、お兄さんの出身大学は、青山学院大学のようですよ。
お兄さんも以前陸上をされていましたが、青学でも陸上をやっていたかはわかりませんでした。
兄がきっかけで陸上を始める
前述しましたが、山縣亮太選手が陸上を始めたのは、お兄さんがきっかけ。
山縣選手の二つ年上であるお兄さん、小学五年生の時に広島市のスポーツ交流大会の100メートル走で入賞。
その際にお兄さんがもらった賞状を見た当時小学三年生の山縣選手、その大きな賞状を「羨ましい」と思ったそう。
と陸上の世界に飛び込んだんだそうです。
翌年、小学4年生になった山縣選手が同大会に出場し、優勝!
その時に走る姿が「広島ジュニアオリンピアクラブ」の指導者の目に止まってスカウトされたんです!
お兄さんが賞状を持ち帰らなければ、山縣選手は陸上をしていなかったのかもしれないんですね。
兄は野球好き?
お兄さんの野球好きな情報もありましたよ。
お兄さんは、元プロ野球選手の前田智徳さんに憧れていたそうです。
https://twitter.com/V7Jqq/status/1357161059614822401?s=20
山縣選手は小学生時代、陸上一本に絞る前は野球少年でもあったそうなんです。
お兄さん自身も左打ちだということは、野球少年だったのでしょう。
兄弟で一緒にプレーされていたのかもしれませんね。
左バッターってプロ野球選手には少なくないですけど、体育の授業とかではなかなか見ないし「センスのある人が左打席に立つ」みたいなイメージがあります。
大会での入賞歴といい、お兄さんも運動神経はよかったのだと思いますよ。
まとめ
今回は山縣亮太選手の家族についての紹介でした!
父がスポーツ用品店を経営し、兄もスポーツ少年。
山縣家は根っからのスポーツ家系なんですね!
山縣選手は今度の東京オリンピックで三度目のオリンピック挑戦になります。
日本歴代最速の看板を引っ提げて、個人で初のメダル獲得に期待がかかります。
ご家族の声援も力に変えて、母国で躍動する姿を見せてほしいです!