天台宗の尼僧として今現在も活動を続けている瀬戸内寂聴さん。
尼僧としての瀬戸内寂聴さんのありがたいお言葉に耳を傾ける方も多いと思います。
瀬戸内寂聴さんは小説家としてもとても有名です。
代表作は「夏の終わり」という小説で、映画化もされています。
この作品の内容は自身の不倫の恋愛体験を描いたものになっています。
尼僧というと禁欲的なイメージがありますが、
瀬戸内寂聴さんの人生を辿ると、かなり波乱万丈な人生を歩んできたご様子。
今回は瀬戸内寂聴さん生い立ちや、不倫をして娘と別れるに至った経緯、尼僧の道に進んだ理由についてまとめました。
瀬戸内寂聴の生い立ちと恋愛遍歴|三度不倫し旦那と娘を捨てた過去
- 名前:瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)
- 本名:瀬戸内晴美
- 出身:徳島県徳島市
- 生年月日:1922年5月15日
- 年齢:99歳(2021年現在)
- 大学:東京女子大学卒業
- 職業:小説家(ペンネームは三谷晴美)、天台宗の尼僧
本を読むのが好きな幼少期
瀬戸内寂聴さんは次女として仏具店を営んでいる両親の元に生まれました。
出家した際に戸籍上の氏名も瀬戸内寂聴に変更したため、現在は本名も瀬戸内寂聴ということになりますが、
出生時は三谷晴美という名でした。
それから小学生の時に、親戚と養子縁組をしたため、「瀬戸内」という姓に変わりました。
幼少期の瀬戸内寂聴さんは大変大人しい性格で本を読むのが非常に大好きな子どもだったようです。
小説家となった原点もここからなのかもしれませんね。
高校時代は、厳格な県立高女でスパルタ式の教育を受け、先生に気にいられる善良な優等生だったそうです。
そのため、女子大に入っても、男友達やボーイフレンドを作ることはなかったのだとか。
大学在学中にお見合い結婚
東京女子大学に在学中、1943年21歳という若さで夫・酒井悌氏とお見合い結婚をします。
きりょうの悪い娘を女子大に入れ、ますます婚期を失うはめにしたという世間の噂を苦にした母が必死に奔走してチャンスをつかんだ見合の席に、私は夏休みのある日、着なれない着物に苦しい帯をしめ、しとやかな娘らしく装って出席した。
退屈な学校生活にもあきあきしていたし、日一日と色濃くなる戦争の匂いもいやだったし、北京に嫁げるという魅力もあって、私は出来るだけこの見合にパスしたいと望んでいた。https://fujinkoron.jp/articles/-/1755
お見合いが成功すると、寂聴さんは、お見合い相手を理想の男性像に頭の中で仕立てあげてしまいます。
女子大の寮で、北京に住む彼に毎日ラブレターばかり書きます。
結婚後、翌年に娘を出産、転勤になった夫に同行する形で北京で2年暮らしました。
私はしたことのない台所仕事に次第に熟練するのが楽しく、不如意な家計のやりくりが上手だとほめられるのが得意であった。
夫を偉大な学者の卵だと信じ、彼のかげでつつましく人目にたたず、内助の功をつくす妻になるのが私の当時の夢であった。https://fujinkoron.jp/articles/-/1755?page=2
夫婦間に本当の会話はなかった
しかし、終戦を迎え、その期を境に、寂聴さんに変化が現れます。
その時になって、私は夫と結婚以来何ひとつ話らしい話をしていないのに気づいた。
日常生活はあったが、私たちの間に本当の会話はなかった。
今になって心の中のもどかしさを伝えようとしても通じあうことばのないのを発見した。https://fujinkoron.jp/articles/-/1755?page=3
この頃から活字に夢中になっていきます。
1946年に命からがら引揚げて帰国しました。
1度目の不倫:夫の教え子の青年
戦後、徳島県で家族3人で暮らしていた瀬戸内寂聴さんでしたが、
夫の教え子である21歳の天学青年と恋に落ちてしまいます。
寂聴さん25歳、夫・酒井悌氏34歳、不倫相手の青年21歳の時です。
この時、寂聴さんは正直者なのか、罪の意識があったことから
夫の酒井悌氏に事実を告げてしまいます。
当然、酒井悌氏は激怒しそして2人の仲を引き裂こうと、寂聴さんと娘を連れて東京に引っ越する決断をしました。
しかし、瀬戸内寂聴さんは離れ離れになったことでより一層その青年への想いを募らせました。
あらゆる自分の美徳の名や保証されていた社会的地位や、子供と引替えに自分で選んだ恋愛に、もののみごと惨めな失敗をとげたあとでは、私はもう虚無の泥沼にずるずるおちこんでいく自分をどうする力も持っていなかった。
25歳の人妻が21歳の青年とした恋が、その女にとっては初恋だったといったら、こっけいだろうか。https://fujinkoron.jp/articles/-/1755
青年への気持ちを抑えられなくなり、旦那と当時3歳だった娘を置いて青年に会うため京都へ渡りました。
それでも、恋焦がれどうしても忘れられなかった青年のもとへ渡った瀬戸内寂聴さんは
親からも勘当されたった1人で、その青年と生きることを選びました。
しかし、京都でその青年と再会を果たしたものの、瀬戸内さんの思いがあまりに重すぎて青年はあっさりと破局。
悲劇はこれだけでは止まらず、その青年はその後事業に失敗したことを理由に自殺したと言います。
2度目の不倫:妻子持ちの作家・小田仁二郎
1951年、29歳の時に瀬戸内寂聴さんは離婚、東京に住み、文学の同人になりました。
その翌年、2回目の不倫相手は同人の先輩だった妻子持ちの作家・小田仁二郎氏です。
自分の小説の原稿をみてもらったことで親しくなっていったということです。
のちに作家・瀬戸内寂聴の師としても知られていることになった人物でもあります。
小田仁二郎氏は超貧乏作家だったようで2人が出会って旅行に行きますが、
超貧乏旅行だったというエピソードもあった様です。
金のない二人の旅はみじめで貧しいものだった。
お酒をのみすぎた彼はその夜私を抱けなかった。
私たちはそんなこととは別に、その一夜で二人がお互いに今、必要な人間どうしだということを感じあった。https://fujinkoron.jp/articles/-/1756
1963年女流文学賞受賞し、出世作となった瀬戸内寂聴さんの「夏の終わり」には
小田仁二郎氏との深い関係についても書かれています。
はじめから、私は彼に妻子のあることは知っていたし、その人たちの場にふみこもうなどとは考えてもいなかった。彼を死なせまいとみはることが私の生きがいになっていた。
3度目の不倫:作家・井上光晴と7年間
瀬戸内寂聴さんの3回目の不倫相手は妻子のいる小説家の井上光晴氏でした。
井上光晴氏には娘で直木賞作家の井上荒野さんがいます。
井上光晴氏が亡くなった後、瀬戸内寂聴さんと父の小説を書くために、直接取材し、
井上荒野さんの「あちらにいる鬼」が発表されます。
瀬戸内寂聴さんと井上光晴氏の不倫関係は井上荒野さんが5歳〜12歳の頃の7年間続いていたようです。
井上荒野さんが1961年生まれなので出会いは1966年頃になります。
ただこの井上光晴氏は瀬戸内寂聴さん以外にも女性がいたと言われています。
井上光晴氏は目の前にいる女性を喜ばせるための言葉を持っていたと言われていて、とてもモテた方だったようです。
瀬戸内寂聴さんはこの時のことを「良心の呵責に苛まれた」と言っています。
他の女性とも関係を持っていたことで裏切られたと感じたようです。
このころに出家を決意します。
瀬戸内寂聴、不倫関係を断つために出家
瀬戸内寂聴さんは井上光晴氏との長い不倫関係を終わらせるために、「出家しようかな」と漏らします。
すると井上光晴氏は「そういう手もあるな」とほっとした顔を見せたようで、
瀬戸内寂聴さんはその顔を見て、「あぁ、それしかないな」と思ったそうです。
中尊寺で出家する日、井上光晴さんは奥さんに「行ってやれ」と言われ、駆けつけてくれたそうですが、
その日から男と女の関係ではなくなったと瀬戸内寂聴さんは語っています。
瀬戸内寂聴さんと井上光晴氏の関係は、瀬戸内寂聴さんが出家した以降も井上光晴氏が亡くなるまで形を変えて交流は続いていた様です。
そして井上光晴さんが亡くなった後でも奥さんと仲良くしていたそうです。
普通ありえない話ですが、本当に愛が深くなると、「愛する人の愛したもの」は全て愛おしく思えるのかもしれません。
だからこそ、瀬戸内寂聴さんと井上光晴氏の奥さんは分かり合える親友のような関係を築くことができたのでしょうか。
瀬戸内寂聴と子供(娘)の関係
瀬戸内寂聴さんが、不倫相手の青年のもとへ渡った当時、娘さんはたったの3歳でした。
娘を一緒に連れて出られなかったのは、経済的に自立していなかったことが理由だったようです。
それについては長い間後悔の念に駆られたと発言しています。
瀬戸内寂聴さんの元旦那は、残された娘に「お母さんは死んだ」と伝えて育てたようです。
それが、娘にとって一番傷が浅く済むと考えたのでしょう。
最愛の母は死んだと思って生きてきた娘さんでしたが、自身が結婚する時になって、
母親である瀬戸内寂聴さんから嫁入り道具一式が届いたと言います。
自分を置いて家を出た母親からの今更すぎる贈り物に、娘さんは全て送り返したそうです。
瀬戸内さんは嫁入り道具が送り返されたことに深く傷つきましたが、仕方のないことであるとも思いました。
いまさら母親ヅラをされても娘さんが受け入れられないのは当然ですね。
しかし瀬戸内寂聴さんが出家して数年後、長い絶縁状態だった親子は再会を果たし、
その時には娘さんはすでに出産し、瀬戸内さんはお孫さんにも会うことができたそうです。
娘さんは1944年生まれなので、2021年現在77歳です。
瀬戸内寂聴さんの娘さんの名前や画像を調べてみましたが、一般人のために公開されていませんでした。
まとめ
今回は瀬戸内寂聴の生い立ちから波乱万丈な人生についてまとめました。
尼僧として、多くの人々の心を豊かにし、救いの言葉をかけられてきた瀬戸内寂聴さん。
しかし出家する前は、3度の不倫と壮絶な人生を歩んできました。
そんな破天荒な瀬戸内寂聴さんですが、不倫相手の奥さんと親友になったり、娘にも許してもらえたり、
瀬戸内寂聴さんにはそんな不思議と許せてしまうような魅力があるのでしょう。
これからも元気に小説家として尼僧として活躍してくれることを願いたいですね。