ハーフパイプ選手の戸塚優斗選手は、2021年3月に行われた世界選手権で初優勝しW杯でも2勝と勢いに乗っています。
北京オリンピックでも優勝候補とも言われていますよね!
スノーボードのハーフパイプは、円筒を半分にした形のコースを滑りながら「エア」と呼ばれるジャンプで空中での演技の高さや技の難度を競います。
見慣れないとちょっとハラハラするスポーツなイメージです。
そんなスノーボードハーフパイプの戸塚優斗選手の家族はいったいどんな方々なのでしょうか。
どうやら兄のエピソードもあるとか…?
今回は戸塚優斗選手の家族について紹介していきたいと思います!
戸塚優斗の家族構成まとめ!
では、まず戸塚優斗選手の家族構成の紹介です。
- 父
- 母
- 戸塚優斗(長男)
今のところ分かっている情報では、戸塚優斗さんの家族構成は、父・母との3人家族で兄弟はいない一人っ子のようです。
では、続いて戸塚優斗選手のお父さん、お母さんについての紹介です。
戸塚優斗の父親と母親|スノーボードを始めたきっかけ
戸塚優斗選手の両親について調査してきました。
一般の方ということもあり、お父さん、お母さんについて名前や画像などの情報はありませんでした。
ですが、戸塚優斗選手はお母さんの影響でスノーボードを始めたそうです!
戸塚優斗は母親の影響でスノーボードを始める
お父さんやお母さんがスノーボード選手だったと言う記録がないので、恐らくお母さんが趣味でやっていた程度でしょうか。
YONEXの公式ホームページには、
「両親の影響で3歳の頃からスノーボードを始めた」
とあります。
その頃の戸塚優斗選手がこちら。
可愛いですね。
戸塚優斗選手の出身地である神奈川県横浜市にはスキー場は恐らくないので、近隣県に出向き、家族でスノーボードを楽しんでいたのでしょうか。
戸塚優斗選手も母に無理やりやらされたと語っています(笑)
そんな戸塚優斗選手は、小学生時代は泣きながら練習をしていたようて戸塚優斗選手よりもお母さんが熱心だったのかもしれないですね。
しかし戸塚優斗選手は、小6でソチ五輪を見てから変わったんだとか。
オリンピックに出たいという明確な目標ができると、練習に励むようになりました。
これはきっと、お母さんもうれしかったでしょうね。
その後の戸塚優斗選手は、2017年のワールドカップ遠征で、憧れの平野歩夢選手と同部屋になり、話をして一緒に滑ったという事を嬉しそうに語っていたそうです。
戸塚優斗選手のお母さんについてはこのようなエピソードがありましたが、お父さんは確実な情報やエピソードは出てきませんでした。
戸塚優斗の第2のお母さん
実は戸塚優斗選手には実の母親の他にもう1人「お母さん」と呼んでいた人がいました。
それは、元プロスノーボーダーの三井真紀さんです。
三井真紀さんのプロフィールがこちら。
- 名前:三井真紀(みついまき)
- 生年月日:1974年3月14日
- 年齢:47歳(2022年現在)
- 出身地:東京都
- 職業:元プロスノーボーダー・元YONEXコーチ
ウィンタースポーツに興味が無いと知らない方も多いと思いますが、三井真紀さんはハーフパイプの世界では知らない人はいないというほどの名ライダーだったようです!
- JAPAN SKI TEAMのメンバーに(2006/2007シーズン)
- FISキスマーク・ジャパンオープンマッチ:女子ハーフパイプで2位(2007年)
- FISワールドカップ・富良野大会:女子ハーフパイプ5位(2007年)
2011年〜2013年からはYONEX主催のジュニアレッスンでコーチを務めていた事もあるようです。
ちなみに、「FIS」は国際スキー連盟の略称で、三井真紀さんはFISの日本大会のみならず、世界大会での入賞経験もあるライダーです。
そんな三井真紀さんとの出会いが戸塚優斗選手を変えたとも言われているんだとか。
戸塚優斗選手が幼い頃から三井真紀さんはコーチを務めます。
そして、戸塚優斗選手は三井真紀さんのことを「お母さん」と呼んでいたとか!
三井真紀さんもその事については「第二のお母さんのつもり」と話されています。
2人には強い絆がありそうですね。
戸塚優斗の兄弟|柳原真央の存在
続いては、戸塚優斗選手の兄弟についてです!
戸塚優斗選手は、兄弟はいないようで、一人っ子です。
しかし、戸塚優斗選手には兄と呼び、慕う方がいたんだそうです。
兄的存在だった柳原真央
その方とは、名前は柳原真央さんと言いYONEXの契約ライダーでした。
YONEXの契約ライダーだった柳原真央さんと戸塚優斗選手はレッスンイベントで知り合います。
スノーボードのプロショップ「HAVEN STORE」を紹介してもらい、お店のTEAMメンバーになりチーム内では師弟関係だったそうです。
柳原真央選手は戸塚優斗選手より7歳年上ということもあり、戸塚優斗選手にとっては師弟というより兄のような存在で、信頼し慕っていたようです。
当時、戸塚優斗選手に柳原真央さんに様々なことを教えてもらっていたよう。
スノーボードの滑りや技だけでなく、生活面のことや礼儀なども真央さんに習ったと戸塚優斗選手は語っています。
あいさつが小さいとずっと怒られていたそうです。
兄弟のように仲がいいだけでなく、悪いところを怒ってくれて正しい方向へ導いてくれる存在だったんですね。
ですが、柳原真央選手は、将来を有望されていた選手でしたが、2011年12月に大会に向かう途中で交通事故にあってしまいます。
そして17歳という若さで亡くなってしまいました。
同じ大会に出場していた戸塚優斗選手は表彰式でその事実を知り呆然としてしまったようです。
そして月日がたっても戸塚優斗選手は、
「もし真央くんが生きていたら一緒に五輪に出られたかもしれないね」
とぽつりと話していたそうです。
戸塚優斗選手の心の中には、今も兄のように慕っていた柳原真央さんがいるんですね…。
戸塚優斗選手の板には『NEXT SKY MAO』と書かれたステッカーが貼られています。
その板で戸塚優斗選手は兄と慕った真央さんと一緒に五輪の表彰台を目指しているんでしょうね。
もっともっと、戸塚優斗選手を応援したくなりました…!
まとめ
今回は、スノーボードハーフパイプ優勝候補でもある戸塚優斗選手の家族について調査しました。
お父さん、お母さん共にほとんど情報はありませんでした。
今後、もっと戸塚優斗選手が有名になればメディアに出てくる可能性もありますよね!
そして、血は繋がっていなくても、第2の母、兄のような存在と言ったように血の繋がり以外の、絆や繋がりを大事にする方だという印象を持ちました。
まだ若いのに、凄いですね…。
メダル期待しちゃいますね…!
では最後まで読んでいただきありがとうございました。