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【画像】石原慎太郎の若い頃がイケメン!大学時代に芥川賞を受賞する天才!

【画像】石原慎太郎の若い頃がイケメン!大学時代に芥川賞を受賞する天才!

2022年2月1日、作家で元東京都知事の石原慎太郎さんが亡くなりました。

最近でいえば、東京都知事を務められていたことが印象的ですが参議院議員や衆議院議員の国会議員として過ごした時期もあります。

作家や俳優、監督・脚本まで務めた経験のある異色の経歴の持ち主なんです!

そして、若い頃はすごくイケメンだったそうです!

顔画像も気になると思いますので、画像とともに石原慎太郎さんを若いころから振り返っていきましょう。

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石原慎太郎の経歴プロフィール

では、まずは石原慎太郎さんのプロフィールを見ていきましょう!

都知事時代 石原慎太郎 若い頃 プロフィール引用元:NHK通信
  • 名前:石原慎太郎(いしはら しんたろう)
  • 生年月日:1932年9月30日
  • 出身:兵庫県神戸市須磨区
  • 身長:183cm
  • 血液型:AB型
  • 趣味:ヨット
  • 学歴:神奈川県立湘南高等学校→一橋大学法学部卒業

2022年2月に亡くなっていたことが確認された石原慎太郎さん。

1932年より89年間の人生に終止符を打ちました。

出身は兵庫県ですが、高校、大学は首都圏の学校に通われていたのですね。

それにしてもさすが政治家という学歴です。

また石原さんと言えばなんといっても家系がとんでもない事でも有名ですよね。

  • 弟:石原裕次郎(昭和のスーパースター)
  • 長男:石原伸晃(政治家)
  • 次男:石原良純(タレント・気象予報士)
  • 三男:石原宏高(政治家)
  • 四男:石原延啓(画家)

など、何度もテレビで目にしたことのある方ばかりです。

詳しくは別記事で紹介しているのでそちらも読んでいただけるほうがより石原家に詳しくなれると思います!

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石原慎太郎の若い頃を画像とともに振り返る!

では石原慎太郎さんのプロフィールや経歴をチェックしたら続いては気になる若い頃!

なんと言っても弟は昭和の大スター石原裕次郎さん。

兄弟揃ってイケメンとの噂もあります。

ではさっそく石原慎太郎さんを若い頃の画像とともに振り返っていきましょう!

幼少期~学生期

石原さんは1932年9月30日に兵庫県神戸市須磨区に生まれました。

その後は父・さんと母・光子さんのもと、北海道小樽市および神奈川県逗子市で弟の裕次郎さんとともに育ちます。

こちらの画像、右側の子が幼少期の石原慎太郎さんです。

幼少期 石原慎太郎 画像引用元:wikiwand

高校は湘南高校、大学は一橋大学に進学します。

高学歴に目が行きがちですが、湘南高校ではサッカー部、一橋大学では柔道部・サッカー部体育会系の一面も持っていました

一橋大学に入学したのは公認会計士になることが目標だったからのようです。

しかし、会計士に向かないことを自覚した石原さんは、休刊していた一橋大学の同人誌「一橋文藝」の復刊に尽力しました。

これに際して、石原さんはこの同人誌に自身の処女作である『灰色の教室』を発表します。

これが文芸評論家の浅見淵に激賞されて自信をつけたのをきっかけに、第2作目の『太陽の季節』を執筆することになります。

しかもなんと、この作品で新人賞芥川賞を受賞しました。

昭和生まれとしては初の芥川賞だそうです。

この作品でデビューした石原さんを、マスコミは題材的に取り上げました。

当時のことについて石原さんは以下のように語っています。

学生時代に復刊させたかつての『一橋文芸』の原稿がいざとなるとどうしても足りずにその穴埋めを頼まれて書いた小説が文學界の同人雑誌評で注目され、その号に発表されていた新規にもうけられた新人賞の規定を見て最初の候補作がいかにもつまらないのでこんなものならもう少しましなものが書けるだろうと思い、二日で書きあげた『太陽の季節』をぎっちょの悪筆なので三日かけて清書して投函したらそれが新人賞となり、さらに芥川賞ともなった

その後作品への毀誉褒貶がかしましく、まだ若造の私が突然衆目にさらされることになったが、自惚れて言う訳ではないが私は芥川賞をもらって有名になった訳でなく、芥川賞なるものは私のような小僧が毀誉褒貶の小説で賞をもらったことで世に有名になりおおせたのだ。これもまた芥川賞にとっても予期せぬことだったに違いない。

引用元:文藝春秋

同人誌の穴埋めのために執筆した作品が新人賞はまだしも、まさか芥川賞を受賞するなんて石原さん本人も想定外のことだったのではないでしょうか(笑)

石原慎太郎大学時代に作家の道へ

石原真太郎 石原裕次郎 若い頃

大学時代に作家となった当時の石原慎太郎さん。

かなりイケメンなのではないでしょうか。

芥川賞受賞 石原慎太郎 大学時代引用元:毎日新聞

大学時代に華麗なる作家デビューした石原さんはその後も数々の受賞作品を執筆しました!

  • 1956年:『処刑の部屋』(映画原作)
  • 1969年:『日本について語ろう』(文藝春秋読者賞)
  • 1970年:『化石の森』(芸術選奨文部大臣賞)
  • 1988年:『生還』(平林たい子文学賞)
  • 1996年:『弟』(毎日出版文化賞特別賞)
  • 2001年:『わが人生の時の人々』(文藝春秋読者賞)

上記の作品は、あくまで受賞した作品ですので、ベストセラー作品も含めると数多くの作品を執筆してきたことがうかがえます。

また、1995年から2012年までは芥川賞の選考委員を務めました。

辛口な批評でしたが、強く推して受賞に至った作家も数多く輩出しています。

1992年から1999年までは三島由紀夫賞選考委員をも務めました。




石原慎太郎の映像作家・俳優時代

また、石原さんは作家としてだけではなく、俳優映像作家としても活躍していた時期がありました。

石原慎太郎 若い頃 映画引用元Twitter
石原真太郎 若い頃

映像作家としては、弟の裕次郎さんを世に送り出すことになった自作の映画化『狂った果実』で脚本を担当して以降、映画やテレビで自作小説の脚色を多く手がけています。

また、1958年には東宝映画『若い獣』でなんと初監督を務めています。

作家や監督といった作品の構成面で活躍し、1950~60年代には数多くのドラマや映画に出演しており、世間からとても人気がありました!

作家、映像作家、映画監督、俳優。

この時点でマルチプレイヤーすぎて、とんでもない方なんだと身にしみて感じました・・・

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石原慎太郎35歳で国会議員に

そして1968年、当時35歳の石原さんは第8回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で立候補しました。

石原慎太郎 参議院選 トップ当選 万歳引用元Twitter

藤原あきの選挙参謀だった飯島清、国際政治学者の若泉敬らをブレーンに引き入れて、なんと史上最高の301万票を集めて初当選しました。

画像は、参議院選で初当選し、バンザイする石原慎太郎さんです。

何だか可愛いですね。(笑)

国会で答弁する石原慎太郎さん引用元:時事通信

その後、1972年12月の第33回衆議院議員総選挙に旧東京2区から無所属で立候補し当選し、衆議院議員に鞍替えしました。

一度は国政から身を引くも、1976年に復帰します。

石原慎太郎 石原裕次郎 選挙応援引用元Twitter

復帰直後に、福田武夫内閣で環境庁長官として初入閣します。

在任中は水俣病補償問題に取り組み、日本政府として謝意を表明し話題になりました。

一方で「ニセ患者もいる」「患者団体が政治組織に利用されている」と発言を行い、胎児性水俣病患者の上村智子さんに土下座して陳謝する一幕もありました。

その後は、運輸大臣を経由し、1989年に総裁選挙に出馬します。

この選挙では敗れるも、1990年の第39回衆議院議員総選挙で旧東京4区で長男の伸晃さんが初当選し、父子揃って衆議院議員になりました。

ここまで石原さんの生い立ちに目が行ってましたが、いつのまにか長男の伸晃さんも衆議院議員になるのはちょっと驚きですね(笑)

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まとめ

石原慎太郎 若い頃の イケメン 画像引用元:ライブドアニュース

今回は、作家で元東京都知事の石原慎太郎さんの若い頃についてまとめました!

この後も東京都知事になったりとまだまだ驚きのニュースがたくさんの石原さん。

日本の歴史に残る方でしたね。

では最後まで読んでいただきありがとうございました。