仮面ライダー出身の俳優としてブレイクし、現在はドラマ単独主演も果たした赤楚衛二さん。
彼の父親は大学の学長、母親はピアノの先生と、両親ともに教育者という家庭で育ってきました。
今回は、そんな彼の家族についてまとめました。
赤楚衛二の家族構成は?
赤楚衛二さんのご家族は、4人家族。
下に弟がいらっしゃいます。
- 父親:名古屋学院大学学長(赤楚治之)
- 母親:ピアノの先生
- 弟:CGクリエイター?(赤楚周平)
※いとこは音楽家(中村瑛彦)
お父さんが大学の学長って、とんでもないですよね…!(教育的な意味でもお金持ち的な意味でも)
また、ご両親が教育者であるにも関わらず、赤楚衛二さんがモデルや役者などの芸能活動をしているというところも気になりますね。
父親は赤楚治之で名古屋学院大学の学長!
氏名 | 赤楚治之(あかそ なおゆき) |
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生年月日 | 1959年11月7日(2020年11月現在61歳) |
出身地 | 大阪府守口市 |
学歴 | 同志社大学・大学院で英文学専攻
1996年8月:ウィスコンシン州立大学マディソン校卒業 |
職歴 | 英語学が専門
1989年:名古屋学院大学外国語学部専任講師 1999年:名古屋学院大学外国語学部教授 2020年4月:名古屋学院大学学長 |
学歴や職歴を眺めるだけで、「すごいです…!」という感じですね。
同志社大学・大学院を経て、1989年から名古屋学院大学にて専任講師をされています。
その後はずっと名古屋学院大学一筋で大学の学長まで上り詰めました。
名古屋学院大学に勤める傍ら、1996年にはウィスコンシン州立大学の学位も取得されています。
お父さんの研究内容は、「生成文法」という分野。
人間には文章をほとんど無限に変形する能力がある、という考えのこと。
チョムスキーによって1950年代に提案された言語学の文法理論で、言語学を生物学的な観点から捉えようとしたもの。
彼は、人間は皆、生まれながらにして、言葉を話すための基本的なルールを身に着けて生まれてくると考えました。
自ら考えること、考えることから逃げないこと
この言葉は、お父さんがいつも念頭に置いている考えなんだそうです。
http://blog.ngu.ac.jp/kgakusyu/2015/07/post-85.html
お父さんの大学での授業をまとめたブログがありましたが、本当に学生さんに教えるのが上手だなという印象を抱きました。
- (講義の内容が)難しいことをやってるんと違うで。
丁寧にやっていったら、誰でもできる。 - 「難しそうなことをやっているから、もうやめとこう」
と思って自分の頭を働かせることを止めたらダメだぜ。 - 先週言ったけれども、日曜日辺りに、ノートを見直したか?
見直してなかったら、1週間丸々頭の中が消えてるから、しっかり思い出さなあかんで。
丁寧に勉強すれば誰でもできる
難しいから諦める、と脳を停止させてはダメだ
きちんと習ったことを復習しなさい
もう学生ではない筆者ですが、この言葉は何歳であっても当てはまりますよね。
年齢を重なていくにあたって、「これはこうだから」と固定観念がつき諦めてしまう、そんなことがないよういつでも挑戦していきたいと思いますね。
また、2020年4月に学長に就任した際の学長のメッセージ動画がありました。
このメッセージの中では、
若者の特権は「夢」を語ること。真剣な眼差しで夢を追いかける若者を名古屋学院大学は全力でサポートします。
と語っています。
これは、赤楚衛二さんにも投げかけた言葉なのでしょうか。
本当に素敵なお父さんであることが伺えますね。
母親はピアノの先生!
赤楚衛二さんのお母さんはピアノの先生でした。
彼自身も趣味や特技にピアノを挙げているほどです。
ピアノは、3歳から中学生まで習っていたそうですよ。
ラピュラと言えば
小学生の頃ピアノの発表会で
君をのせてを弾いたなぁ。
ずっとムスカの真似してたなぁ。
変な思い出に浸る。笑— 赤楚衛二 (@akasoeiji) September 29, 2017
弟は赤楚周平でCGクリエイター?
赤楚衛二さんには、弟がいて2人兄弟です。
弟さんとは幼少期の頃、よくヒーローごっこをしていて、その影響か
弟が大阪芸術大学の頃、自主制作映画「ウルトラユウスケ」を制作しています。
学生の頃からCG制作をされていたため、現在はCGクリエイターになっているのでは?とも噂されています。
詳細は別記事にしていますので、ご参照ください。
赤楚衛二のいとこは中村瑛彦で凄腕の音楽家で作曲家!
最後に、いとこで有名な方もいましたので紹介したいと思います。
https://japancreatorbank.com/ja/creator/329/
氏名 | 中村瑛彦(なかむら あきひこ) |
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生年月日 | 1992年2月14日(2020年11月現在28歳) |
出身地 | 大阪府 |
経歴 | 16歳でシンガーソングライターとして活動
20歳でシンガーソングライターの活動を休止し作曲家へ |
5歳からピアノ、12歳からギターを始め、14歳で宅録にハマり、曲を作り出しました。
16歳の春にシンガーソングライター「中村瑛彦」として初ライブを行い、その5ヶ月後には「閃光ライオット2008」へ出場を果たします。
当時は、16歳の天才シンガーソングライターとして紹介されていました。
その後、2012年5月にシンガーソングライターとしての活動を休止。
以前から興味があった作曲家への道を進みます。
作曲家としての経歴も華々しく、井上苑子さんと共作したドラマ「こえ恋」エンディングテーマ「ナツコイ」は、Youtubeでの再生回数1,300万回を誇ります。
その他、さくらしめじ、でんぱ組.inc、Hey!Say!Jump、AKB48、NMB48など、数々のビックアーティストに楽曲提供を行うなど、J-POPの次世代を担う作家の一人です。
- 「コトノハノオモイ」 井上苑子
- 「スプーンの初恋〜あゝ、好きだよベイベー〜」 さくらしめじ
- 「我 I Need You」 Hey!Say!JUMP
- 「アクシデント中」 AKB48
- 「妄想マシーン3号」 NMB48
ちなみに「チェリまほ」のインタビューでは、
BLが好きないとこがいるので、BL作品というものは知っていましたが
https://dogatch.jp/news/tx/85996/detail/
といとこがBL好きだというのです。
作曲家の中村さんがそのいとこかどうかは全くわかりませんが、赤楚衛二さんのいとこの一人にBL好きがいることは確かなようです。
赤楚衛二の両親の子育て方法がスゴイ!
幼少期は勉強に厳しく時に優しく
幼少期は、勉強には厳しい家庭だったそう。
高校生までの間は、お父さんが勉強を教えてくれていたそうです。
小学5年生で方程式を教えられて、「できない」と言ったら怒鳴られたこともあったそうです。
お父さんはとても研究熱心でもあり、リビングにもあまり出てこず、自室にこもっている時間が長かったそうです。
赤楚衛二さんが2、3歳のころは海外の学会に連れられていったこともありました。
そんな怖い父親ではありましたが、幼少期は週末に公園でキャッチボールやヒーローごっこ。
ヒーローごっこでは必ず父が「敵役」だったそうです。
また、友達が遊びに来た時は、プールや銭湯に連れていってくれたり、面白いギャグを言ったりして、人気のお父さんだったようです。
小学生の頃は月1回、家族4人で父が選んだ映画を見るという習慣がありました。
これがきっかけで役者という道に興味を持ったということですから、色々な刺激を受けることのできる環境だったこは本当に素晴らしいと思います。
そして、とても仲が良い家族ですね。
子どもは思うように育たない
この言葉は、赤楚衛二さんが大人になってお父さんが言った言葉です。
https://michill.jp/author/column/56140
赤楚衛二さん自身、お父さんの影響から、同じ名古屋学院大学の英米語を専攻していました。
実際にお父さんの講義を受けてみて、話術も内容もすごくて、お父さんへの見方が変わったそうです。
このままであれば、お父さんと同じような道に進むのではないか?とご両親も思われたことでしょう。
ですが、赤楚衛二さんが「東京の事務所に入ります」と宣言し、大学を中退。
お父さんはこれに対し、
「やりたいことを見つけたならいい」
と言ったそうなんです。
お父さんは、本当は赤楚衛二さんに英語の先生や言語学の分野に進んでほしいと思っていたようですが、このように応援してもらえるのはどんなにありがたいことか。
本当に素敵なご両親のもとに育ったな、と感じます。
お父さんから学んだのは
陰での努力を惜しまないこと。
今の赤楚衛二さんを見ていると、お父さんからの学びを存分に発揮しているように思えます。
またお母さんも、お父さんと同様、息子の進路を心配していたそうですが、赤楚衛二さんがモデルの仕事した時はとても喜んでくれたそうです。
彼の今の大活躍ぶりの根源は、ご家族にあったんだなと感じました。
まとめ
今回は、赤楚衛二さんのご家族についてまとめました。
赤楚衛二さんがとても良い家庭環境で育ったことが伺えますね。
陰の努力を惜しまない赤楚衛二さん。
今後ももっと活躍されることでしょう。
とても楽しみです。