2020東京オリンピックの女子バドミントンでは、福島由紀選手が自身初のオリンピックに挑みます。
廣田彩花選手とペアを組み、2020年の全英オープンを制するなど、今大会女子ダブルスの金メダル筆頭候補の一人です!
今回は、福島由紀選手のご家族についてご紹介します。
福島選手のバドミントンのルーツは、お姉さんにあるそうですよ!
福島由紀の家族構成まとめ!
福島由紀選手の家族構成は以下の通りとなっています!
- 父・眞一さん
- 母・知加子さん
- 姉・香織さん(6歳上)
- 福島由紀選手
福島選手は4人家族、お姉さんが一人いらっしゃいます。
実家は熊本の八代で、実家は畳屋さんとの噂も。
それではご家族お1人ずつ、紹介していきたいと思います。
福島由紀の父親|福島眞一は熊本八代の畳屋さん?
福島由紀選手のお父さんの名前は、福島眞一さんと言います。
福島選手の出身は熊本県の八代市。
この八代地方、日本でもっとも多いい草の生産地として有名ですよね。
彼女の実家も八代で、実家はい草を生産して畳を作っているのではないか?という噂があります。
というのも、福島眞一さんの名前で調べると、八代のい草生産者として紹介されているため。
こちらは、「全国い製品卸商業団体連合会」のホームページですが、生産者紹介の項に「福島眞一」の名前があります。
確定ではないのですが、同じ八代出身で同姓同名ということで、お父さんなのでは?と言われているようです。
ちなみに、このい草生産者の福島眞一さんはこちら。
似ているかは微妙なところですね…!
い草生産者の福島眞一さんは、「ひのはるか」というブランドい草を生産しています。
こちらは、福島眞一さんのい草が使用された畳。
畳の表替えは、一畳4,000〜9,000円が相場のようですが、福島さんの畳の場合、一畳9,000円と畳の中では高級の部類に入りそうですね。
福島由紀は幼少期から負けず嫌い
父の眞一さんは、子供になにかスポーツをやらせたいと考えていたそう。
母の知加子さんも同じことを考えていた様子なので、気の合う夫婦なのかもしれません。
また、父に関連して福島選手の負けず嫌いがわかるエピソードがありました。
バドミントンを始めた幼い頃、父親がラリーでフェイントを仕掛けてくると返せすそれが悔しかったそう。
「それに対してとてもムカついて(笑)。負けたくなかったので『もう!』と怒りながらプレーしていました」
遊びの中でも本気になってしまうほどの負けず嫌いとは、当初からスポーツ選手としての才能があったようですね。
福島由紀の母親|福島知加子が精神的支えになった
福島由紀選手のお母さんの名前は福島知加子さん。
お母さんの職業についてはわかりませんでした。
しかし、福島選手のバドミントン選手としての躍進に、知加子さんは欠かせない存在でした!
知加子さん曰く、幼い頃から走るのが好きだった福島選手。
その小学生時代は、05年のABC大会に出場、全小では団体で準優勝し「初めてバドミントン・マガジンに載ったと思います」(知加子さん)。
引用:YAHOO!JAPANニュース
小学生時代に団体で準優勝した際に雑誌で紹介されたことを、知加子さんは今でも覚えていらっしゃる様子。
余程印象的だったのでしょう。
それもそのはず、小学生、中学生時代の福島選手は、今の福島選手を思えば不思議なほどに、あまり実績を残していない選手だったんですね。
「田中さんは久多良木小、坂本中の先輩で、全校で60人くらいの小さな小学校でしたから、学年関係なくよく遊んでいた仲でした」
引用:YAHOO!JAPANニュース
しかし、福島選手は強豪、青森山田高校から誘いを受けて、地元熊本から凡そ正反対の位置にある青森県、青森山田高校に進学します。
同じ小、中学校の一つ上の先輩であり、後に共に日の丸を背負うこととなる田中志保選手が先に青森山田に進んでいたことも影響したのかもしれません。
本人ですら、誘いを受けたことに驚きを隠せなかった福島選手、元々は県内での進学を考えていたこともあり、お母さんの知加子さんも驚いたことでしょう。
周りについていけない娘を救った母
高校へ進学すると、当然、身の回りのことは全て自分でやる生活に。
練習はもちろん、上下関係でも厳しく、高校1年生の時はインターハイのメンバーに入ることができませんでした。
毎日母親に電話して、「帰りたい」と弱音を吐いていたそうですよ。
「高校1年生のころは、”帰りたい”って電話でよく弱音を吐いていました。
私はそのたびに”あと2カ月したら、これこれの大会があるんでしょう。それまでガマンしたら”と説得しましたね」引用:YAHOO!JAPANニュース
それでも青森山田を見学し「ここでなら強くなれそう」と感じた福島選手の直訴を受け入れた知加子さん。
ある程度苦しくても、辞めてしまうのは勿体ないと感じていたのでしょう。
周りの人とのレベル差や、自身の境遇を嘆き「帰りたい」という福島選手をなんども説得したそうです。
「高校時代は”帰りたい”と弱音を吐いていたのが、いまは大きな国際大会で優勝するんですから、びっくりですよね」と話す知加子さん。
中学時代、15歳になったときの立志式で「バドミントンでオリンピックに出たい」と話していたことを思い出すそうだ。引用:YAHOO!JAPANニュース
今ではオリンピック選手にも選ばれるほどの一流アスリートとなった福島選手、親の知加子さんからしても感慨深いものがあるでしょう。
はるか遠くの位置から、掲げた夢を叶えた娘のことを誇らしく思っているはずです!
ちなみに、福島選手が頭角を現すのは高校二年生の頃から。
当然と言えば当然かもしれませんが、福島選手が結果を残すようになってからは、「帰りたい」と泣きつかれることもなくなったそうですよ。
福島由紀は姉が1人|福島香織がバドミントンを始めるきっかけ
福島由紀選手のお姉さんの名前は福島香織さん!
年齢は福島選手の6つ上なのだとか。
福島選手が2021年現在28歳ですから、34歳前後ということになります。
二人姉妹なのですが、6つも離れているのは少し珍しいような気がしますね。
両親(眞一さん・知加子さん)もなにかスポーツをさせたいと考えていたし、6歳年上の姉・香織さんもバドミントンをやっていた。
そもそも久多良木小には、部活が野球とバドミントンしかないのだ。引用:YAHOO!JAPANニュース
福島選手がバドミントンを始めた理由は、
- 父、母共にスポーツをさせたいと考えていたこと
- 通っていた小学校には野球とバドミントンの二つしかクラブが無かった
- 姉の香織さんもバドミントンをやっていた
これらの複合的な物だと思われます。
バドミントンなら、姉妹でいつでも対決できますもんね、一番のライバルが身近にいるなら上達も早そう!
2年生のころにバドミントンを始めたんですが、とにかく負けず嫌いで頑固。年が離れているから、バドミントン以外でもお姉ちゃんには負けて当然なのに、悔しがっていましたね
引用:YAHOO!JAPANニュース
とはいえ、福島選手と香織さんの間には年齢差が6つもあるわけです。
福島選手がバドミントンを始めた2年生の時には、お姉さんは既に中学生。
流石に勝てるわけがありません。
いくら目に見えた勝負でも、負けると悔しいのも当たり前。
後に高校時代にも敵わない上級生相手に「勝ちたい!!」という思いを強く募らせていった福島選手。
幼い頃から培ったハングリー精神が、今の彼女の強さを作っているのかもしれません。
お姉さんとの連戦連敗の日々も、きっと無駄ではなかったのでしょう。
ちなみに、その香織さんについての情報もあまりなく、バドミントン選手をされているということはなさそうですね。
まとめ
今回は、オリンピックにも出場する福島由紀選手の家族についてのご紹介でした。
とはいっても、福島選手の家族含むプライベートなエピソードは、未だにあまり表には出てきていません。
福島選手は、今回が初めてのオリンピック。
ここでメダルを獲得するようなことがあると、注目度も一気に上がり、メディア出演なども増えるはず!
今までは明かされなかった、家族との意外なエピソードなんかも、話される機会があるかもですね!