羽生結弦さんは男子フィギュアスケートのエースにして世界的に知られた名選手。
2022年に行われる予定の北京五輪でも金メダル獲得が期待されています。
そんな彼ですが、あまり知られていないのが家族についてのこと。
本人の知名度が凄いだけに家族が何をされている人なのか。
興味を持つ方が増えているようですね。
そこで今回は羽生選手の家族に関する情報をご紹介させていただきましょう!
羽生結弦の家族構成まとめ!
まずは羽生選手の家族構成についてから。
- 父親
- 母親
- 姉
- 羽生結弦さん(弟)
羽生選手を含めた上記4人がご家族ということになります。
以下の項目で詳しくご紹介させていただきますね!
【顔画像】羽生結弦の父親・羽生秀利は学校校長!
羽生選手の父親は、秀利(ひでとし)さんといいます。
中学校の校長先生を務めた
教師をされていたと噂になっていましたが、これは事実で2014年までは石巻市立奏中学校で教鞭を取り、その後、利府町立しらかし台中学校に異動。
同校で教頭を務めあげ、2016年には宮城県塩篭私立第3中学校で校長に就任しています。
上記画像は塩篭私立第3中学校の学校要覧を一部切り抜いたもの。
キャリアを積み続けてそのトップに君臨していた羽生選手同様、父親も似たような経歴を持っていることがわかります。
教頭もそうですが、校長先生まで出世したとなると教育現場からの信頼も厚かったと言えるのではないでしょうか?
父親と羽生選手とのエピソード
父親と羽生選手のエピソードもご紹介したいと思います!
- 厳格な性格の父親
- 息子が金メダルを取った時の言葉
- 命名したのは父親
厳格な性格の父親
秀利さんは教育者であったこともあり、非常に厳格な性格の人でした。
そのため、羽生選手の才能と努力を認めつつも甘やかすことはなかったそうで何度も息子にかけていた言葉があったといいます。
「どんなにフィギュアの練習が大変だったとしても、勉強は続けなさい。将来は一流の選手である前に、一流の社会人になってほしい」(秀利さんコメント)
出典:女性自身
怪我や試合への不安がある中でも会見では笑顔で応じていた羽生選手。
その対応はファン以外からも称賛の声が上がるほどでしたが、原点は父親の言葉を常に守ってきたからこそ。
そういった意味では羽生結弦という選手が生まれた要因の一つは父親にありと言っても過言ではないかもしれません。
息子が金メダルを取った時の言葉
羽生選手の両親はインタビュー等に登場することもなく、基本、表に出てくることはありませんでした。
その理由について羽生家に近い友人は以下のようにコメント。
結弦の両親が表に出ないのは、頑張っているのは本人であって、親は関係ないという考えからなんです。五輪で金メダルを獲得しても『私たちがしゃしゃり出て話すことはない』と言っていましたね。(羽生家に近い友人コメント)
出典:週刊現代
スケートに対しても一歩離れたスタンスを貫いていたという秀利さん。
もちろん、金メダルを獲得したことは嬉しかったでしょうが、下手に自分たちがコメントを出してしまうと騒ぎが大きくなり、羽生選手に迷惑をかけてしまう可能性も出てきます。
表立って応援するのではなく、負担にならないように応援する。
それも親としての優しさなのでしょうね。
命名したのは父親
羽生選手の「結弦」という名は珍しい部類に入るものですが、命名したのは父親だったそうで
という願いが込められていたとのこと。
現在の羽生選手を見ていると常に凛としている印象がありますから、まさに名を体現していると言っていいでしょう!
【顔画像】羽生結弦の母親・羽生由美は専業主婦!
羽生選手の母親の名前は由美さんといいます。
彼女は専業主婦ですが、羽生選手の体格は母親似という情報も!
ゆづの運動神経と、あの体型は奥さん譲りでしょう。うちの家系は野球好きですが、運動が得意な家系ではないし、手足も長くないですから(笑)」(叔母コメント)
出典:週刊現代
以下の項目では母親とのエピソードをご紹介させていただきますね。
息子のスケート衣装は手作り?
羽生家は父親が公務員だったこともあり、貧しい家柄ではなかったものの、フィギュアスケートはとにかくお金のかかる競技の一つ。
フィギュアは、靴や衣装、リンク代など、ものすごくおカネがかかるスポーツです。
家族の協力なしにはできません。
節約のために、つい3年前まで結弦の衣装はお母さんが作っていたんです(羽生家に近い友人)出典:週刊現代
フィギュアで着る衣装は華やかさも必要になるもの。
それを用意できる辺り、手先の器用さが伺えると共にかかる手間も相当だったのではないでしょうか?
今でこそ日本を代表するスケーターとなった弓弦さんですが、ここまでの選手になれた背景には常に母親の献身的な姿があったことが窺えますね!
栄養管理などのサポートを担当
2012年の5月、前年に銅メダルを獲得した羽生選手は更なるレベルアップを図るため、金メダルを獲得した経験を持つキム・ヨナをコーチしていたブライアン・オーサーに師事。
拠点を仙台からカナダのトロントへ移すこととなりました。
その際、母親も連れ立って行くことに。
しかし、言葉の壁や生活環境に馴染めず、苦労したそう。
最初は言葉の壁や生活環境に馴染めず、苦労したみたいです。
カナダは肉料理が多いのですが、結弦は食が細いので、外食で胃がもたれることもあった。
そこで、お母さんは家で消化の良い鍋を食べさせるなど、結弦の健康管理には相当気を遣ったみたいです」(羽生家に近い友人)出典:週刊現代
それでも、健康管理など、母の支えがあり、カナダでの生活に慣れた後はメキメキと上達。
現在の基盤となっています。
慣れない異国の地で一番の問題は栄養管理で、それを乗り切る上で大きな力となったのが母親の存在だったのでしょうね。
息子にべったりでマザコン?
上記の事柄を見ていると優しい一面が目立つ由美さん。
しかし、厳しい部分もあったようで羽生選手の成績が良くない時には「恋愛禁止令」や「携帯禁止令」を出したことも!
本人の為であることは間違いないと言えるものの、いささかやり過ぎな気はしますね。
この他にもファンや記者が羽生選手の体に触れようとすると「触らないで!」と厳しく注意をしていたとか。
そのためか、息子にべったりなイメージや怖い人という印象を持っている方も少なくないようですが、、
実際には、そういったわけではないようです。
羽生選手が金メダルを獲得した際、自宅や親類、近所の人などに取材が殺到しました。
羽生家の人たちは半ば、追いやられる形で仙台市内のマンションに引っ越した経緯を持っています。
カナダへ行った時に同行したのももしかしたら栄養管理の為だけではなく、競技に集中できるよう守るためだったのではないでしょうか?
そう考えるとべったりな性格だったというよりは献身的な性格という見方の方がしっくりくるように思えますね。
羽生選手の両親の方針は「頑張っているのは本人で親は関係ない」ですから、あくまで裏方に徹していたということですね!
宗教問題も?
次に宗教問題についても触れておくとこの話は下記の画像に写っている羽生選手が身に付けていたペンダントが発端でした。
画像を見た人たちから
- 「宗教色のあるペンダント」
- 「お母さんが宗教にハマって買ったんじゃないの?」
とネット上で書き込みが!
確かにパワーストーンらしきものが写っているものの、これは元専属トレーナー菊池晃さんからの頂き物で母親が買ったものではないとのこと。
「羽生が首にさげているペンダントがありますよね。あれは、菊地さんが贈ったものです」(日本スケート同盟関係者)
出典:デイリー新潮
送り主とされている菊池氏も
「あのペンダントのマークは、私が経営している接骨院のシンボルとして作ったものです。タイの寺院で思い浮かんだデザインに、私が好きな言葉『希望、維持、破壊、慈愛』の頭文字、〈K・I・H・J〉を配しました」(菊池氏コメント)
出典:デイリー新潮
「女性自身」(19年3月26日号)で上記のようにコメントを残しています。
この他、真如苑と呼ばれる宗教との関連も疑われていましたが、真如苑のペンダントとは明らかに異なるデザインのため、こちらの説も噂止まりのデマという可能性が濃厚。
上記画像は真如苑のペンダント。
よって、由美さんと宗教の関連についてはペンダントを見たファンの勘違いというのが真相なのではないでしょうか?
【顔画像】羽生結弦の姉・羽生さやもスケーター?
羽生選手のお姉さんは、さやさんといいます。
年齢は羽生選手より4つ上とのこと。
残念ながら幼少期の写真しか見つかりませんでした。
4歳上の姉は、羽生のホームリンクだったアイスリンク仙台の職員として働いている。
出典:週刊現代
職業はアイスリンク仙台の職員、つまりはスケート職員であることが確認されているものの、記事は2015年時のもの。
なので、現在もそこで勤めているかは不明です。
姉と羽生選手のエピソード
アイススケートを知るきっかけは姉
羽生選手とアイススケートの出会いはお姉さんが通うスケート教室に付いていったことに始まります。
だからもうスケートね、お姉ちゃんがやった時に「自分もやりたいやりたい」って言ってしょうがなく…ねえ、まさか男の子でフィギュアをやらせようとは最初思ってなかったんで。うん。こんな風になるとは思わなかったですね。(由美さんコメント)
テレビ番組「東北未来人」より
お姉ちゃんが滑っている姿を見て自分もやりたいと言った羽生選手。
お母さんは結弦の喘息を心配し、なんとか治してやりたいと考えていた。
ホコリを吸い込む可能性の少ない屋内でのスケートは、結弦にピッタリのスポーツでした」(羽生家に近い友人コメント)出典:週刊現代
母曰く、正直、こんな風になるとは思わなかったと言いつつも喘息の克服にはピッタリのスポーツだったスケート。
当時、指導していたインストラクターの都築章一郎さんも
元々は喘息を治すことが目的だったようですが、結弦は体幹がしっかりした子で、『才能の片鱗』が見えました。(都築章一郎氏コメント)
出典:週刊現代
認める程の才能だったそうですよ!
弟にスケートの道を譲る
前述の通り、スケートにはかなりの資金が必要となります。
羽生選手に加え、お姉さんもとなると家計は当然苦しくなるばかり。
そんな苦しい状況に陥った際、羽生選手は自分が辞めると訴えたそうですが、
弓弦が辞めるくらいなら自分が辞める
とお姉さんの方が身を引き、弟はスケートを続けることに。
選手としては終わってしまったものの、弟が世界一のフィギュア選手になったというのは道を譲った側として嬉しいことだったのではないでしょうか?
ただ、本当にアイススケートが好きだったことは2015年時点の職業を見ればわかるだけに選手としての彼女も見てみたかった気がします。
まとめ
以上、羽生結弦選手のご家族についてでした。
父親からは礼儀を、母親には選手として様々なサポートを、そして、姉には夢を託された彼。
本人の才能や努力もあったのでしょうが、家族全員で育て上げたメダリスト。
羽生選手に関してはその言葉がピッタリ当てはまるように感じますね!
今後の更なる活躍を期待したいと思います!
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