橋岡優輝選手は陸上・走り幅跳びの選手で両親は元陸上選手。
いとこもJリーガーだったりと、アスリート一家のサラブレッドとしても有名ですね。
2021年6月に行われた東京五輪最終選考会で優勝し、同大会内定切符をGET!
日本代表としての活躍が期待される橋岡選手ですが、幼少期からすでにトップアスリートとして、学生時代から注目を集める存在でした。
今回はそんな橋岡選手の学歴についてご紹介させていただきたいと思います!
橋岡優輝の学歴まとめ!
橋岡選手の学歴は以下の通り。
- 小学校:不明
- 中学:さいたま市立岸中学校
- 高校:八王子高校
- 大学:日本大学
小学校については不明ですが、中学は地元であるさいたま市立岸中学校を卒業。
以後、八王子高校から日本大学という道を進んできました。
以下で詳しく説明させていただきますね。
橋岡優輝の小学校|幼少期は陸上とは縁遠かった
前述の通り、橋岡選手の出身小学校については情報がなく、調べることが出来ませんでした。
小学校時代は、意外にも陸上が身近な存在ではなく、遊び感覚でサッカーや野球を楽しんでいました。
ご両親どちらも陸上競技のエリートだったのですが、自宅に両親のトロフィーや賞状は全くありませんでした。
また、陸上に関する話も家庭内で特に話題にはならなかったそうなんですね。
陸上の道に進んだのは、中学入学後のことでしたが、ご両親が勧めたわけではありません。
2008年の北京五輪で見た、ボルトの活躍に陸上に興味を持ったこと。
そして、野球やサッカーのような、幼少期から始めることが多いようなスポーツではなく、
「中学から始めても遅れをとらない競技」として陸上を選びました。
幼い頃に両親から選手時代の話を聞かされることはなかったですし、すすめられたこともありません。
2008年の北京五輪で(ウサイン・)ボルトの鮮烈な活躍に衝撃を受けて陸上に興味を持ち、なんとなく人よりも足が速かったので自分もやってみようと。https://www.mensnonno.jp/post/95431/#shm-vp-1
ちなみに、小学校の時に市の大会で100メートル走で優勝したこともあったそうなので、この時から才能の片鱗を見せていましたよ。
橋岡優輝の中学校|四種競技で全中3位の実力!
橋岡優輝選手の中学は、さいたま市立岸中学校に在籍していました。
1999年1月23日生まれ。埼玉県さいたま市出身。さいたま市立岸中学校で陸上を始める。
出典:HOMINIS
前述の通り、陸上競技を始めたのは中学からだった橋岡選手。
中学時代、必ず部活に所属しなければいけないルールもあり、陸上部に所属することになりました。
ただ、最初から走り幅跳びを専門にしていたわけではなく、中一の時は短距離走でした。
その後、顧問の先生が変わったことをきっかけに混成競技の四種競技を始めます。
最初はハードルに取り組もうとしていたそうですが、先生から「ハードルの練習として四種に出ろ」と言われたことがきっかけで、四種競技もやるように。
当時の橋岡選手は部活熱心だったわけではなく、四種をやることでバランスよく体力を高めようとした先生の思惑があったようですよ。
そして、中学3年の春に標準記録を突破して、全日中へ出場。
そこで全中3位という結果に。
この時のことを
と語っています。
スポーツ選手でメンタル面が強いのは本当に有利ですよね。
また、3位という結果について、勝ちを意識するほど練習をしていなかったため、「楽しんでやっていたら、3番になっちゃった」という感覚だったそうですよ。
四種競技で全中3番になることができましたが、その時は純粋にうれしかったのを覚えています。「陸上競技ってこんなに楽しいんだ」と思いました。
振り返ると、全中が〝部員〟から〝競技者〟への第一歩だった気がします。全中をきっかけに、もっと陸上を追究したい、と思うようになりました。出典:月陸オンライン
そして、この大会で結果を残したことで陸上の楽しさを知り、陸上への興味を深めていきます。
まだ、走り幅跳びを経験する前ではあったものの、全中出場が後に同競技の日本代表となる契機となっているのは間違いないでしょう。
橋岡優輝は八王子高校出身|叔父に師事し走り幅跳びへ
中学卒業後、東京にある八王子高校へ進学。
八王子高校は個性を磨くコース制を採用しており、主なところでは文理コースや音大、美術大学も視野に入れた総合コース。
クラブ活動に力を入れたアスリートコースの中から選択する方式です。
陸上競技に強い興味を抱いていたことや、全中3位の実績等を踏まえると公表こそされていないものの、アスリートコースを選んだ可能性が高いとみて良いでしょう。
高校に入学後、橋岡選手は走り幅跳びを専門に行うようになります。
そのことを本人は
と語っていました。
小学校6年生の時に授業で走幅跳をやって、すごく楽しかった記憶があったんです。
中学校でもやってみたい気持ちはあったんですけど、中学校には砂場遊びするような砂場しかなくて、競技ができる環境ではなかった。
走幅跳を始めるチャンスが来なくて、ずっとやってみたいという思いは、くすぶっていました。出典:yahooニュース
小学生の頃から走り幅跳びに強い興味を抱いていたものの、始めるチャンスがなかったそう。
中学で陸上に触れたことで昔感じた思いが蘇ってきたのかもしれませんね。
叔父の渡邉大輔さんが顧問に
また、八王子高校には叔父でもある渡邉大輔さんが顧問として在籍していました。
顧問の渡邉大輔先生は、走幅跳でオリンピックや世界選手権にも出場している名選手。
橋岡くんにとっては叔父さまでもあります。出典:JAAF
その辺りも八王子高校を選んだ理由の一つになったようです。
走り幅跳に転向してからは、感覚に慣れるのにかなり苦労したようで、
先生に「こういう感覚で跳ぶんだよ」と言われることが全然できなかったそう。
先生の言っていることは理解できるけど、身体がついてこない。
高校1年の冬季練習あたりからやっと慣れ、高校2年の時はバンバン記録を出していきます。
高校2年の初のインターハイ出場。
決勝で7m44の好記録を出しています。
4位に入り、走り幅跳びでもやっていけるという自信になったと言います。
この辺りから同競技のコツを掴んできたのか、7m50を当然のように超えるように。
高校2年秋の日本ユース選手権(現U18日本選手権)では、高2歴代3位タイとなる7m70をマーク。
高校3年時にはインターハイで1.6mという向かい風の中、7m75の自己新記録をマーク。
と自信を掴んでいきます。
また、第2期(2015-2016)のダイヤモンドアスリート(国際大会での活躍が期待できる競技者を強化育成するプログラム)にも認定し、周囲の評価もうなぎ上りに。
同時に高校3冠を達成し、走り幅跳びという競技を理解し、モノにした3年間を送られたようです。
日本ジュニア優勝して高校三冠達成することができました🏆
自分のことを支えてくれた方々がいたから成し遂げられたことです。
また、記録は狙っていたものに遠く届かなかったので本当に悔しいです。この悔しさをバネにもっと強くなります😤応援ありがとうございました!!
— 橋岡優輝 Yuki Hashioka (@th2318) October 23, 2016
ちなみに顧問の渡邉大輔さん以外にも、橋岡選手の親戚は皆さんエリートアスリートの集まりですよ!↓
サニブラウン・ハキーム選手と仲良し
実は、橋岡選手とサニブラウン選手、プライベートでも仲がいいそうです。
サニブラウン選手の高校は、城西大城西高校と出身校は違いますが、高校1年生の時からの仲なんだとか。
大会などで会ううちに仲良しになったのでしょうね。
よくボウリングにもいくそうで、ベストスコアは、サニブラウン選手は200、橋岡選手は180とか190くらいだそうですよ。
サニブラウン選手の物おじしないところを尊敬しているそうです。
橋岡優輝は日本大学|
完全に走り幅跳び専門の選手となった橋岡選手はその後、日本大学のスポーツ科学部に進学。
先ほど顧問だった渡邉大輔さんも、八王子高校から日大に進学しており、同じルートを辿っています。
また大学を選ぶ際、生活環境を変えたくないという思いから、自宅通学を基準の1つとしていたそうですよ。
上記画像は日本大学スポーツ学部に掲載されていたものです。
スポーツ科学部はコーチング学を中心としたカリキュラムを組んでおり、競技スポーツで起こる様々な問題に対応できる力を身に付けることを目的としています。
8m越えを果たすために試行錯誤を繰り返していた橋岡選手にとって最適な場所だったのかもしれませんね。
大学でも数々の記録を打ち出す
それからの日本大学在籍時の成績は以下の通り。
- 2017年(大学1年:日本選手権、関東インカレ、南部忠平記念陸上会優勝)、8m越え(関東インカレ 8m04)、(日本選手権 8m05)
- 2018年(大学2年:日本選手権、U20世界選手権優勝)
- 2019年(大学3年:アジア選手権、日本選手権優勝、世界陸上8位入賞)
- 2020年(大学4年:セイコーGGP東京優勝)
大学1年目で各種大会で優勝を果たし、目標としていた8m越えもあっさりとクリア。
ですが、練習で右脚ハムストリングスを肉離れし、全治1カ月半の重症でした。
そのため、1年の秋の試合は無理せず、治療とリハビリに専念しました。
陸上人生初のケガをしたシーズンだったそうですが、逆にケガをしたことがより大きな成長の糧になりました。
その後順調に回復した橋岡選手は、大学2年になっても勢いが衰えることなく、跳躍距離も増加。
U20世界選手権では日本人初の金メダル獲得。
大学3年となる2019年、「アスリートナイトゲームズイン福井」に出場した橋岡選手。
同大会で記録を大きく伸ばす8m32をマーク!
しかし、大記録達成の興奮冷めやらぬ中、城山正太郎選手が8m40の大ジャンプを披露。
記録はすぐに塗り替えられてしまったものの、高レベルの争いを見せてくれています。
同年に開催された世界陸上でも日本人初となる8位入賞を果たしました。
上記の画像は2019年にアジア選手権で優勝した時のもの。
2020年も8m29をマークし、安定して記録を伸ばし続けています。
本人曰く、
と体の使い方次第で更なる成長も可能であると語っています。
そうすれば、助走はよくなるし、踏み切りだって変わってくるはず。
跳躍全体にいい効果をもたらすと考えているんです。
そうなれば、来年には8m50を跳べるんじゃないかと思っています。そして、この距離ならばメダルの可能性もある。出典:Tarzan
と具体的な数字と共に8m50というのがメダル獲得の基準と捉えている橋岡選手。
一時は20cm以上距離を伸ばした経緯を持っているだけに決して不可能な数字ではなく、射程圏にあると言っても過言ではないでしょう。
腹筋バキバキの体脂肪3%ボディ
大学時代から体脂肪率3%という、腹筋バキバキな彼。
惚れ惚れする身体ですよね。
ですが、たまにはご褒美として甘いものを食べたりもするようですよ。
まとめ
以上、橋岡選手の学歴についてでした。
中学校時代から全中で結果を残すなど、才能の一端を見せていた同選手。
走り幅跳びも始めた当初は苦労していたものの、今ではエースと呼ばれるまでの存在となりました。
大学時代の恩師である森長陸上部コーチが1992年に樹立した記録8m25を超え、更なる進化を続ける橋岡選手。
どこまで記録を伸ばし続けるのか。
今後も目が離せないアスリートの一人と言えますね!