天才卓球少女と呼ばれていた平野美宇さん。
両親ともに卓球の凄腕の持ち主だとか・・・。
父親は医師?
母親は中国人で卓球教室を経営?
兄弟は?
など、今回は平野美宇さんの家族について見ていきたいと思います!
平野美宇の家族構成まとめ
平野美宇さんの家族構成をみてきましょう!
- 父親(平野光正)
- 母親(平野真理子)
- 本人(平野美宇)
- 妹(平野世和)
- 妹(平野亜子)
平野美宇さんは、父親・母親・妹2人の5人家族です!
3人姉妹の長女が平野美宇さんということになりますね!
父親と母親が卓球が得意なので、家族全員卓球に携わってきたそうです。
では、家族を個別に詳しく見ていきます!
平野美宇の父親・平野光正は現役の内科医師!
まず、父親の平野光正さんでについてです。
1968年12月21日生まれで、2021年で53歳となります。
筑波大学出身で大学時代に卓球全国優勝!
平野光正さんは、筑波大学出身です。
筑波大学への進学は、卓球推薦だったそう。
大学時代は卓球部に所属していて、主将を務めていたんです!
1年生の頃からエースとして活躍していました。
全国国公立大学卓球大会で優勝2回、全日本選手権の2回戦まで進んでいたということから、卓球の腕前もすごかったことが伺えますね!
現在は内科医師として勤務
卓球推薦で入った筑波大学は医学部ではなかったのでしょうか。
筑波大学を卒業後、宮崎医科大学医学部を再受験して医師になられています。
内科医で循環器科を専門としていて、山梨県の『甲府城南病院』に勤めていました。
その後異動し、都内の病院に勤めています。
それにしても、卓球への道から切り替えて一転、医学部を受験して医師になるというバイタリティに感服ですね。
志の強い父親の子育てが、彼女をトップアスリートに育て上げたのかもしれません。
幼少期から平野美宇を支えてきた
と語るお父さん。
娘にその意思を継いでもらうため、娘へ熱心な指導を行ってきました。
小さい頃には一緒に試合をしたり、献身的にサポート。
また、現在は、東京で2人暮らしをしながら、オリンピックに向けて調整をされているそうです。
ちなみに、普段医師をされているお父さんですが、山梨で医師をされていたのに、このためか東京の病院に異動されています。
病院勤務が終わった後は、平野美宇さんの練習場で玉拾いをしたり、夕食を作るんだそう。
仕事で疲れて帰ってきているところ、娘のためにサポートできるのは強い親子愛を感じますね。
そんな父親のことが大好きな平野美宇さん。
父親へのビデオメッセージで、以下のように感謝を口にしていました。
いつも支えてくれているお父さんへ。私が小さい頃に試合をしてくれたり、今では忙しい中、ご飯を作ってくれたりしてくれてありがとうございます。これからも身体を大事にして、元気なお父さんでいてください。ありがとう
平野美宇の母親・平野真理子は山梨で卓球教室経営!
次は母親の平野真理子さんについてです。
1969年2月1日生まれで、2021年度で53歳になります。
父親ど同い年で、大学の同級生でした。
母親は中国人?との噂もありましたが、
静岡県出身で、中国人ではなく母親も元卓球の選手として活躍しています!
元卓球の選手!
平野真理子さんは、父親の光正さんと同じ筑波大学の出身です!
ご両親は同級生で、同じ主将をつとめていたそうです。
主将として同じ未来を描きならがら交流を深め、ご結婚に至ったのでしょうか。
とても素敵な馴れ初めですよね。
そして、お母さんもとても強く、関東大会で優勝する実力の持ち主だったそうです。
筑波大卒業後は、養護学校の先生として障害のある子供たちを教えていたそうです。
山梨で卓球教室設立
小学校の教師として、10年間働いていますがその間も卓球をずっとしていたそうです。
全国教職員卓球大会でベスト8までのぼりつめたという、好成績なのです!
父親・母親ともにすごい卓球の腕前なんですね!
そして、光正さんと結婚した後に『平野英才教育研究センター卓球研究部』を設立しました。
生徒や児童が70人ほどいて週5回、指導をしているそうです!
平野美宇さんのいとこで、卓球選手の村松雄斗さんの育成も母親が携わっていたそうです!
卓球の指導者としても、優秀な方なんですね。
明るい太陽な存在の母親の教育法
平野美宇さんの母親は、子育てに関する本を出版されています。
内容はとても明るく、お母さんが太陽みたいな存在であることがわかります。
幼少期は積極的にコミュニケーションを
2〜3歳ごろは、公園や図書館にはよく行ったそうです。
お話の会をはしごしたこともあったそうです。
美宇さんが卓球を始めてからは、近くのお話し会に練習の合間に連れていくという努力をされていました。
自主性を重んじた子育て法
とても強い卓球選手だったご両親ですが、子供たちに卓球を強いることはなかったそう。
子どもは親と別人格、子どももそれぞれが別人格である
という考えを常に持ち、
親の夢を押し付けたり、ほかの子どもや兄弟とくらべてしまったりすることのないよう、その子の個性を見つけてあげるということが大事なのではないか
とのことでした。
もちろん、卓球をやってほしいという気持ちはあったそうで、自然と卓球に興味を持つような環境づくりをしていたそうです。
その後、美宇さんは卓球に興味を持ち、3歳5ヶ月の時に卓球を始めました。
最初の頃は、スパルタに教育するのではなく、卓球をいかに楽しんでできるかに重きを置きました。
美宇さんの大好きなキティちゃんのぬいぐるみを置いて、ピンポン玉をご飯に見立て
と、ボールを打つ練習をしたそうです。
そのような、”楽しむ”という経験を通し、美宇さんはどんどんと実力をつけていきました。
実力をつけていったからこそではありますが、勝ち負けへのこだわりがかなり強くなり、負けると大泣きする時期もあったそう。
母親は、そんな時に怒鳴ってしまうこともあったそうですが、
と語りかけました。
お母さん自身も「第二の愛ちゃん」と呼ばれる美宇さんに対し、そういうプレッシャーを与えてしまったのは自分のエゴなのではなかと葛藤した時期もあったそう。
両親も娘たちも、様々な想いを抱きつつ、ともに成長していったのでしょうね。
平野美宇は三姉妹の長女!三女・平野亜子は発達障害?
そして最後に、平野美宇さんの姉妹について見ていきましょう!
平野美宇さんは3人姉妹の長女なので、次女・三女を紹介します。
次女・平野世和も卓球選手
次女は世和さんといいます!
姉の平野美宇さんに似ていますが、世和さんの方が大人っぽい気がしますね!
2歳のころから卓球を始めたそうです!
2016年に行われた全日本選手権に出場し、女子シングルス14歳以下の部で初戦敗退に終わってしまいました。
でも、全国大会に出ているので卓球の腕前も相当だということになりますね!
世和さんは、中央市立田富中学校・山梨県立甲府西高校に進学し、2021年の3月に高校を卒業しました。
色んなプレッシャーがある中で、山梨県代表選手として活躍していたことがとても素晴らしいですね。
三女・平野亜子も卓球選手
三女は、亜子さんといいます!
平野美宇さんと似ていますね!
三人姉妹とても似ていると思います。
亜子さんは、6歳の頃から卓球を始めています。
2016年の全日本選手権にも出場していて、4回戦進出という成績を残しています!
こちらは、2021年に行われた全日本選手権に初出場したときの画像です!
初戦で敗退してしまいましたが、平野一家はみんな卓球の腕前はすごいということですね!
小学生のころは卓球小学生選手の日本代表としても、海外に派遣されているんです!
現在は高校生で、卓球を続けています。
これからも、楽しみですね!
妹・亜子は発達障害?
平野亜子さんが『発達障害なのでは?』と、以前から噂になっていたんです。
そこで、平野真理子さんの自著『美宇は、みう』の中で亜子さんについて語っていました。
亜子さんの症状についてです。
・コミュニケーションをとるのが苦手
・思ったことをそのまま行動してしまう
・幼少期は先生の話を聞くことが出来なかった
・一人で物事をできない
そういった症状を抱えていますが、卓球をやると言ったのは亜子さん自身だそうです。
亜子さんの母親は、障害があっても子育ては平等と3人を同じように育ててきたり、支援学級を2年かけて作るよう説得したりと本当に強いですね。
亜子さんは、人とコミュニケーションをとるのが苦手だけど人一倍努力しきたそうです。
亜子さんの努力と、真理子さんの根気でここまで卓球も強くなったんですね!
妹さんたちの成績については、こちらにも詳しく書いています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
平野美宇さんの家族はみんな卓球の腕がすごいということがわかりましたね!
これから、美宇さんはじめ妹たちも卓球でどんな功績を残してくれるのかとても楽しみですね!
では、最後までご覧いただきありがとうございました!