木下ほうかさんは、遅咲きの名バイプレイヤーとして映画やドラマ、バラエティーと活躍されていました。
そんな彼の若い頃はヤンキーで喧嘩三昧、刺青が入っているなんて噂も。
その噂は真実なのか、生い立ちも含め調査してきたのでまとめていきたいと思います。
木下ほうかの生い立ち|実家は裕福で父親は一級建築士!
木下ほうかさんは実家が裕福いう噂があります。
実際にお金持ちだったのか?
父親の職業や木下ほうかさんの生い立ちについてまとめて行きたいと思います。
木下ほうかの父親は一級建築士
木下ほうかさんのお父さんは、一般人ですので名前や年齢などは公表されていませんでした。
ですが職業は、一級建築士だったそうです。
一級建築士の年収は、平均より高いことが特徴です。
そのため木下ほうかさんのご実家は裕福だったようです。
幼少期に暮らしていた実家はベランダから六甲山が望め、大阪平野を一望できるプール付きの豪邸だそうで、かなりお金持ちのようですね。
詳しい場所は公表されていませんが、丘の上に建っていたため優越感に浸りながら外を見下していたんだとか(笑)
ただ2015年に木下ほうかさんのブログで
「大阪の実家が人手に渡ることになった」
と綴っていることから、この家は現在木下ほうかさん家族が住んでいるわけではないようです。
木下ほうかの生い立ち
木下ほうかさんの生い立ちについてです。
まず先に木下ほうかさんのプロフィールです。
- 本名:木下 鳳華(きのした ほうか)
- 生年月日:1964年1月24日
- 年齢:58歳(2022年3月時点)
- 出生地:大阪府大東市
- 身長:173 cm
- 血液型:O型
- 活動期間:1980年代 – 2022年
木下ほうかさんは、大阪府大東市の出身。
幼稚園の頃は、先生のおっぱいを触ったり、女の子のスカートをめくったりと、かなりやんちゃな子だったとか!
ですが見た目に関して言えば小学校の時は美少年ということで有名だったそうです。
こちらが木下ほうかさんの幼少期の画像です。
確かに相当可愛いですね!
面影がない・・・。
中学校は地元の、大東市立四条(しじょう)中学校へ通いました。
木下ほうかさんのブログによると、中学時代はバスケットボール部に所属していたようです。
高校は、大阪府立野崎高等学校へ進学しました。
写真マニアの父親の影響で高校時代には遊びで自主映画を撮るようになっていた木下ほうかさん。
そんなある日、映画『ガキ帝国』のオーディションの記事を見つけた姉にすすめられ、応募することになります。
木下ほうか学生時代に芸能界入り
1980年(昭和55年)、16歳のときに井筒和幸監督の映画『ガキ帝国』のオーディションに応募し、合格し同作品で俳優デビューしました。
実際は大勢いる不良役の1人でしたが、初めての撮影現場に魅了された木下ほうかさんは、出番がない日も現場に通い、夢中で見学していたそうです。
その後大阪芸術大学を卒業、吉本興業大阪本社に入社し、吉本新喜劇の団員となります。
しかし新喜劇では目立つ存在になれず、1980年代の新喜劇低迷期と重なったこともあって3年で退団。
この時期の座員、浅香あき恵さん・未知やすえさん等とは現在も交流があり、来阪時の飲み仲間となっているんだそうです。
1989年(平成元年)、吉本の先輩である島田紳助さんから
「ほうか、役者をやりたいんやったら、やっぱ東京行かなあかんやろ?」
との助言を受け、井筒監督を頼って木下ほうかさんは上京します。
当初はVシネマを中心に活動し、業界関係者やプロデューサーなどの飲み会に積極的に参加し、名刺を配るなどして人脈を広げていきました。
そして長い下積み期間を経て、ようやく2014年木下ほうかさんが51歳で、ドラマ『昼顔』のヒロインの夫役でブレークしました。
するとバラエティ番組『スカッとジャパン』の”イヤミ課長”役などで注目を集め人気俳優の仲間入りを果たしました。
木下ほうかの若い頃がヤンキーすぎる!
木下ほうかさんの生い立ちや実家が裕福だったことを紹介しましたが、続いてはヤンキーの噂について!
なんでも、木下ほうかさんはヤンキーで喧嘩三昧だった、と言うもの。
ですが調査していると、どうやら、酒やタバコもやらなかった中途半端な不良少年、ヤンキーファッションをしていただけのようでした!
では、なぜこのような噂が立ったのか?
それは、木下ほうかさんがテレビ番組で、
「16歳の頃にはパンチパーマにそり込みを入れていた」
という写真を公開していることからそれがヤンキー説へと繋がっているようです。
また、
- 島田紳助さん主演で大阪の不良少年を描いた映画「ガキ帝国」がデビュー作品だったこと
- ナインティナインが主演した映画「岸和田少年愚連隊」でもケンカに明け暮れるヤンチャな学生の一人を演じる
など木下ほうかさんの若いときは不良少年役が多かったのもヤンキー説の理由のひとつかもしれませんね。
【画像】木下ほうかヤンキー時代
木下ほうかさんが公表している若い頃の画像です。
木下ほうかさん16歳の時です。
パンチパーマに剃り込み、長ラン、バイクとテンプレートなヤンキーファッションです!
これはヤンキー説が出ますね。(笑)
ですが、木下ほうかさんいわく、本当にヤンキーだったわけではなく当時はそういう格好がおしゃれだったとのこと。
ご自身ではヤンキー説を否定しています。
同級生には元EGO-WRAPPIN’のベースの後藤明人さんがいらっしゃいます。
後藤さんいわく、木下ほうかさんは腹巻きで登校しさらにブレザーの裏側には鯉の刺繍があったそうです(笑)
本人は否定していますが、見た目は完全にヤンキーですよね。
集合写真なのに格好が制服じゃないので先生のようですね。
木下ほうかさんは、この時代は周辺がみんなあんな感じの見た目だったと主張!
言うほど不良だったわけじゃなく酒やタバコもやらず中途半端な不良少年だったと何度も言っているので本当に言うほどヤンキーではなかったのかもしれないですね。
ですが学生時代から今も趣味がバイクのようで、
高校時代は土曜日にバイクでブンブンやってても、その夜が期末試験の前だと帰ってちょっとだけ復習しているような感じ
だったそうです。
とあるインタビューでは、
ほうかさんて、ヤンキーやってたのに、なんで大阪芸術大学舞台芸術学科に入ったんですか?
と言うヤンキーだったとして質問すると、
集会の途中に抜け出して、家に帰って、受験勉強もしていたし。大学に入ったヤンキーなんかいないから、みんな周りの不良は離れていったし、大学は行ったときにパンチパーマだったのは、僕ともう一人だけでしたよ。恥ずかしいから、すぐに落として(笑)
と、集会に参加していたことや、恥ずかしいからヤンキーを辞めたなどの話をしているので、やはりヤンキーには間違いないんですね。
ただ、喧嘩三昧なヤンキーではなく、ファッション的なマイルドヤンキーだったのだと思われます!
木下ほうかは学生時代石野真子の親衛隊だった
木下ほうかさんは、『昭和・平成・今日から令和「半径5メートルの胸熱TV!」』(NHK総合)で、石野真子さんの親衛隊だったことを明かしました。
親衛隊は、1970年代から1980年代に多く存在した、アイドルの熱烈なファンが集まって、私的に応援活動・身辺警護をする方々です!
まさか木下ほうかさんがアイドル好きで親衛隊だったとは、ヤンキー説より驚きですね!
ちなみに木下ほうかさんは『石野真子親衛隊 大阪支部』の副隊長だったようです。
木下ほうかさんは40年前の15、6歳の頃に、
「ファンでありながら(アイドルを)守ったりする親衛隊になった」
と恥ずかしげに告白。
いちばん規模の大きかった親衛隊で、各地に支部があり、ほかのアイドルの親衛隊とも協調していたんだそうです。
ちなみに上京してすぐの頃、映画の仕事で石野真子さん本人に対面したことがあり、「実はファンで親衛隊だった」と伝えると、喜んで貰えたそうです。
木下ほうかの刺青は本当?
そんなマイルドヤンキーだった木下ほうかさんですが、、
刺青を入れているのでは?という噂まで!
画像でも多く残されています。
ですが調査していると、こちらは本物の刺青ではなく偽物のようです。
2012年に公開された映画「EDEN」で筋彫りの先輩役として出演した際に描かれたものでした。
筋彫り先輩という役を演じ、撮影用の刺青を施していた姿の画像がネットで出回り、木下ほうかは刺青をしていると、このような噂がたったようです。
なんとも生々しいと言うか驚くほど似合っていますもんね。
本物と思ってしまいそうです(笑)
まとめ
今回は木下ほうかさんの刺青やヤンキー説について調査しました。
刺青は映画での役作りのためでした。
学生時代のヤンキー画像については、当時の流行りのファッションをしていただけのようでしたね。
そしてご実家は裕福でいい暮らしをしていた幼少期でした。
では最後まで読んでいただきありがとうございました。