2020東京オリンピックで注目選手の一人が女子バドミントンの奥原希望選手!
前回大会であるリオデジャネイロオリンピックでは、シングルスにおいて日本人初のメダルを獲得されています!
今回はそんな奥原希望選手のご家族について紹介しますよ。
奥原希望の家族構成まとめ!
奥原希望選手の家族構成は以下のようになっています。
- 父・圭長さん(61歳前後)
- 母・秀子さん(58歳前後)
- 兄・大生さん
- 姉・未来さん
- 奥原希望選手
奥原選手はお兄さんとお姉さんを持つ、5人家族の末っ子。
お姉さんは歌手として活動していたり、お兄さんはお医者さんだったりと、かなりバラエティに飛んだご兄弟なんです。
順に紹介していきますね!
奥原希望の父親|奥原圭長バドミントン部顧問!
奥原希望選手のお父さんは圭長(きよなが)さん!
画像右の、優しそうな笑みを浮かべた男性です。
年齢は2021年現在で60~61歳程度。
職業は教師で、奥原選手が子供の頃は大町北高の物理教師をされていました。
その高校でバドミントン部の顧問をされていたのが、奥原選手にとっての全ての始まり。
バドミントン部顧問だった父に子守がてら高校の体育館に連れていかれた。
最初は遊びだったが、2年時に「全国小学生ABC大会」につながる県大会に出場。
わずか6人の大会で全国切符を手にした。引用:スポニチ
三人の兄妹の末っ子だった奥原選手は、当然何をしても兄や姉には敵わなかったけれど、それでも泣きながら色々な勝負に挑んだそう。
圭長さんにとって、そういった奥原選手の姿は「三人の中で一番負けず嫌い」と映ったそうです。
次第にバドミントンにのめり込んでいく奥原選手、彼女の練習を圭長さんは全力で支えます。
小学校から帰宅後、祖父母のどちらかが大町北高まで車で送る。
「ただいま」を言うのは、圭永さんが勤めた高校の物理準備室。
そこで宿題や仮眠を済ませ、同高バドミントン部と奥原家4人が午後9時まで汗を流した。引用:スポニチ
職場の教室に子供を迎え入れるのもあまり普通のことではないですよね!
「奥原家4人」というのは恐らく三兄妹と圭長さん。
仕事も忙しかったであろう圭長さんですが、子供たちの為に体を張って頑張っていたんですね。
厳しいスパルタ教育でもあった
父の圭長さんの指導法は時に厳しいものでした。
小学校3年生の時に、奥原選手が全国大会で敗退すると、2時間ひたすたノックを受けるという練習をひたすた続けました。
受けることができないと、
と激が飛ぶことも。
さらに、彼女の態度についてもかなり厳しく、
練習態度が悪かったりすると、帰宅後に大声で激怒したこともあったそうですよ。
高校生との試合後、ふてくされたようなあいさつの態度を取り、練習態度も悪かった。
それを見た圭永さんは激怒。
帰宅後に、大声を張り上げた。「今日の態度は何だ。バドミントンやめろ!」。
泣いて謝る娘に、厳格な父は言った。「口では誰でも言える。態度で示せ」引用:スポニチ
当時小学6年生で、高校生とも互角に打ち合えるようになっていた奥原選手。
それだけに敗北が悔しかったのか、それとも慢心があったのか、一時態度が良くないことがあったそう。
それを叱った圭長さん、態度で示せと言われて奥原選手は、泣きながら縄跳びを握りしめ、家の玄関で二重跳びを始めたんだとか。
この時、知人からの電話で一時間ほど圭長さんが話し込んでいた間、ずっと縄跳びを跳んでいました。
永遠飛び続ける彼女に、「まだ跳んでいたのか…」と慌てて止めると、奥原はその場にバタッと倒れ込んでしまったそう。
その時の奥原選手の両足は、裏の皮がむけ、水ぶくれの状態に。
ストイックすぎる奥原選手の様子が窺えます
この時に圭長さんは自身を「親バカ」だと言いながら、「感動した。精一杯応援してやろうと決めた」のだそう。
ちなみに日常生活でも、靴を揃えず家に上がると怒られるなど、自宅にいても常に緊張感があったそうですよ。
泣きながら父にプロへの決意表明も
「お父さんに感謝している。
私は不器用だから用意してもらった道で、ただ、ひたすら頑張ってきた。
でも、これから私は自分の道を歩きたい」
素晴らしい選手に成長した奥原選手。
前例がなかったプロバドミントン選手への転向の際も、奥原選手は圭長さんにその意思を伝えていました。
リオ五輪翌年の17年夏。奥原が突然、実家に帰省した。応接室の椅子に座ってかしこまっていた娘を見て、圭永さんは「結婚か…」と覚悟を決めた。だが、ボロボロ泣きだした奥原は「プロになりたい。バドミントン界を変えたい」と打ち明けた。
引用:スポニチ
それは「相談」というよりも、「決意表明」にほかなりませんでした。
初めは反対の態度を取っていた圭長さんが半年以上に渡って説得し続けても奥原選手の決意は変わらなかったんですね。
「お父さんに感謝している」と言いながら「自分の道を歩きたい」と語った奥原選手を、最後は応援するしかなかったそうですよ。
奥原希望の母親|奥原秀子も教師で栄養士の資格も取得
奥原希望選手のお母さんは秀子さん。
年齢は2021年現在で58歳程度。
大町市立八坂小学校の栄養教諭という職についていたことがあったそうです(現在の職業及び職場は不明)。
先生同士で結婚されたということですね!
圭長さんが高校教師、秀子さんが小学校教師なので職場で出会った訳ではないのかもしれませんが、
もしかするといつかのタイミングで二人が同じ職場になることもあったのかも。
奥原希望のサポートに回る
秀子さんは運動が得意な方ではなく、バドミントンの練習に参加するということはありませんでしたが、彼女を精神的に、そして栄養面でも支えていました。
また、奥原選手の親であることを明かしながら講演会を開かれていたこともあります。
奥原選手をどう育てたのか、というお話を、「栄養士」という立場も踏まえて話されたそうです。
バイタリティあるお母さんですよね。
小学校教師でありながら栄養士の資格も持ち合わせた秀子さんは、それらの立場から奥原選手をより良い方向へと導きました。
- 朝食は必ず食べさせる
- 夜10時には就寝させる
- 食べ物の好き嫌いをさせない
こういったことを徹底させ、挨拶の徹底なども実施されたそうですよ。
奥原家は奥原希望選手が小学校高学年になる頃には、バドミントンが生活の中心となっていました。
子供たちのより良いパフォーマンスを引き出せるようにと行われた、秀子さんの隠れたサポートが今の奥原選手の強さにつながっているのかもしれませんね。
蜂蜜パワーで
実は、父の祖父・訓さんは趣味で養蜂に携わっており、小学生のころからハチミツ作りを手伝ってきたという奥原選手。
母の秀子さんは、「体に優しい。疲労回復にいい」と太鼓判を押していますよ。
奥原希望の兄弟2人|姉は歌手で兄は医師!
奥原希望選手にはお兄さんとお姉さんがいらっしゃいます。
お兄さんの名前は大生さん、お姉さんの名前は未来さん。
こちらの写真を見たところ、お姉さんの方がお兄さんよりも年上?
一番上はお姉さんの未来さんだったのかもしれませんね。
姉は「ネア」で歌手活動も
奥原希望選手のお姉さん、未来さんは県大会で3位の実績を持つバドミントン選手だったと言われています。
また「ネア」という名義で歌手として活動、barなどで歌われていた、なんて情報もありました。
現在は、歌手としての活動はしていないようです。
奥原希望の兄は自治医科大卒の医師!
一方お兄さんの大生さんもバドミントン経験者。
なんと高校時代にインターハイでベスト8に輝いています!
この兄妹、ちょっと凄すぎますね!
大生さんは現在、医者として活躍されています。
しかも医者になろうと思ったきっかけが、奥原希望選手の怪我でした。
とても妹想いなことが分かりますよね。
お兄さんのさらに詳細については、別記事にしています↓
まとめ
今回は奥原希望選手のご家族についての紹介でした。
奥原選手は東京オリンピックでもメダル獲得の有力候補。
家族の皆さんもきっと心から応援されていることでしょう!
皆の応援を力に変え、奥原選手には是非ともメダルを獲ってほしいですね!