大野将平さんは、山口県山口市出身の柔道選手。
2016年リオデジャネイロオリンピック柔道73kg級で金メダルを獲得しました。
そんな彼は、東京オリンピックでの金も期待されるスター選手です。
今回は、そんな彼を形作った青春時代について、ご紹介していきたいと思います。
大野将平の学歴まとめ
大野将平さんの学歴は、以下の通り。
- 小学校:山口市立良城小学校
- 中学校:世田谷区立弦巻中学校
- 高校:世田谷学園高校
- 大学:天理大学
大野将平さんは、山口県出身ですが、柔道の道に進ため、中学校の時に上京しています。
当時から最強なのかと思いきや、そうでもなく、決して順風満帆な学生時代を送ってきたわけではないようなんですね。
色々な苦難を乗り越えて、現在のような強い柔道家になったことがわかります。
それでは、学歴を1つ1つ見ていきたいと思います。
大野将平は山口市立良城小学校出身!
山口県山口市出身の大野選手。
小学校は、山口市立良城小学校出身です。
兄に憧れ柔道を始める
大野選手は、7歳の時に松美柔道スポーツ少年団で柔道を始めました。
そのきっかけは、兄だったそうで、強かった兄はずっと憧れの存在だったそうです。
また、親戚のおじさんも道場の先生をやっていて、道場に遊びに行く感覚で柔道を始めたんだとか。
8歳の時に、テレビでシドニーオリンピックで、野村忠宏選手や井上康生選手が金メダルを手にした姿を見た時に
という夢を持つようになりました。
ですが、強いお兄さんといつも比べられており、幼少期はずっと
「大野の弟」
という呼ばれ方をしていたそうです。
それがとても悔しかったという大野選手。
この悔しいという気持ちと根性だけで、中学進学後の6年間、講道学舎で柔道を学ぶことになります。
講道学舎とは?
数々の五輪メダリストを生み出した柔道私塾で、現在は閉塾。
古賀稔彦選手、吉田秀彦選手、瀧本誠選手、大野将平選手と4名のオリンピック金メダリストを輩出しました。
「日本一」と呼ばれる過酷な練習方法で、逃げ出す門下生もいたそうです。
大野将平は世田谷区弦巻中学校出身!
大野選手は、東京都世田谷区弦巻中学校出身です。
前述の通り、中学に進学するタイミングで上京し、この中学校に入学しています。
上京したのは、世田谷区にあった講道学舎に入塾するためで、この講道学舎の塾生は皆さん弦巻中学校に通われるそうですよ。
練習や寮での生活、全てが厳しかった
この時期は、辛かった思い出しかないという大野選手。
元々、この講道学舎には、先に上京していた強い兄がいました。
自分も兄と同じ道を辿って東京に行けば強くなれると思ったそうなんですね。
そのため、入る前は楽観的な気持ちでいたそうです。
ですが、お母さんはすでに講道学舎の厳しさを知っていたので、「上京したい」と言ったときにすごく引き止められたんだとか。
両親には
「1年間で10kg体を大きくしたら入門しても良い」
という条件を出され、見事その約束を守って、講道学舎に入門したわけです。
ところがいざ入ってみると…
中学校に通いながら、講道学舎で柔道の練習に明け暮れる毎日。
寮生活も含め全てがきつかったそうです。
寮では自分のことはもちろん、先輩の世話もしなくてはいけず、そのうえで練習は厳しく
と語っていました。
それでも、兄の存在が彼をグッと我慢させました。
大野選手が辞めてしまうと、先に入っていた兄にも迷惑がかかるし、
母親からは「行ってもどうせ辞めて帰ってくる」と言われていたので、どうにか踏ん張り続けることができたようです。
高校時代もこの生活は続いていき、中学・高校時代で一番学んだことといえば、我慢することだったそうですよ。
唯一、学生らしい思い出は修学旅行など学校行事だったというちょっぴり切ない思い出も語られていました。
中学時代はさほど目立つ選手ではなかった
そんな大野選手、入塾当初は同期の10名のうち、8番手くらいの選手で、さほど目立つ存在ではなかったそう。
個人戦では、中学2年生の時に出場した近代柔道杯の5位が最高成績で、意外にも目立った成績は残していないんですね。
ですが母親には
「1年で1人ずつ抜いていきなさい」
と言われ、講道学舎を卒業する時には学年で一番強くなっていきました。
大野将平は世田谷学園高校出身!
続いて、大野将平さんの出身高校は、世田谷学園高校です。
この高校は、1902年開校の仏教系の伝統校で、特に柔道部は高校柔道界でも名門とされる強豪校です。
大野選手は、柔道のスポーツ推薦でこの高校に進学しており、高校時代も柔道部に在籍しています。
高校2年生の時にインターハイで初優勝!
大外刈りと内股を得意技にしていた大野選手ですが、
高校時代には1日1000回もの大外刈りの打ち込みをしていたそうです。
そのかいもあってか、高校2年生の時には、インターハイの個人戦にて初優勝。
才能の片鱗を見せていました。
ちなみに、当時の目標は団体での優勝だったそうで、それを実現することはできませんでした。
団体戦は個人戦とは違い、周りの人たちの力や協力、そして応援を一番感じることができる。
「学校を背負う」みたいな選手達の一体感があったそうですよ。
怪我に悩まされ初めての挫折
ところが、3年生になると体の大きい選手と戦うことが増え、まだ自分の体もでき上がっていなかったので怪我ばかりするように。
3年生のときには全国大会にも出場できませんでした。
一度チャンピオンを経験したとあって、その頃はかなり辛い思いをされたようです。
インターハイで優勝し、これからだ!というときの怪我だったため、体だけではなく、精神的にもダメージがあった大野選手。
当時を振り返って、
だったと、過去のインタビューで語っています。
大野将平は天理大学出身!
大野将平さんは、奈良県にある天理大学に進学しています。
ちなみに、お兄さんも同大学に進学していますよ。
大学への進学は、一般受験での進学ではなく、柔道のスポーツ推薦です。
同大の柔道部は、大学柔道界の名門と言われていますが、大野将平さんも柔道部に入学しています。
天理大学を選んだ理由は、柔道を学んだ講道学舎と同じ
「正しく組んで正しく投げる」
という共通点があったからだったそうですよ。
ターニングポイントとなった試合
彼がさらに強くなったきっかけは、大人の選手たちと戦うことだったそうです。
大学1年生のときに、当時の全日本柔道連盟の関係者だった篠原信一監督が、特例で大野選手をジュニアからシニアに引き上げたそうです。
そこで、シニアの合宿に参加するようになり、少しずつ大人の選手たちと戦うことに慣れていきました。
また、2012年のロンドン五輪にも出場した、天理大学の先輩・穴井隆将選手が引退されたことをきっかけに、
天理大学の柔道を終わらせてはいけない、という気持ちが芽生えたそう。
そこから、
- 大学3年生でグランドスラムで初優勝
- 大学4年生で2013年世界選手権で初優勝
を飾り、世界トップレベルの選手に急成長していきます。
当時を振り返り、この2つの試合が、自分にとってのターニングポイントであったと語っていました。
柔道部の暴力問題
ところが、大野将平さんが大学4年生の時、天理大学の柔道部の暴力問題が発覚してしまっています。
柔道部の4年生部員4人が、1年生部員である複数人に暴力を振るって鼓膜を破るなどの怪我をさせた事件。
当時柔道部の主将だった大野将平さんは、現場に居合わせていたということで、
- 強化指定選手の取り消し
- 停学
- 活動停止
- 主将解任
などの処分を受けています。
その際には、大野将平さんは柔道を辞めようと考えたことも。
最終的には思いとどまり、停学中は奈良県内や学内の清掃に従事していたようです。
これが、一連の報道の流れではありますが、なんとこの暴行事件、真実は違うところにあったようです。
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大野将平の大学卒業後の活躍
大学卒業後は、天理大学大学院体育学研究科に進学するとともに、実業団柔道の旭化成に入社しています。
その後も絶好調な彼は、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは見事、金メダルを獲得しています。
さらに、2019年の世界選手権では3連覇を成し遂げ、日本男子柔道界のエース。
東京オリンピックでも不動の金メダリスト候補になっています。
まとめ
いかがだったでしょうか?
さまざまな困難などを乗り越え、なお努力し続けて今があるということがよくわかりました。
これからも大野将平さんの活躍を応援していきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。