プーチン大統領と言えば、ロシアの絶対的な権力者・独裁者のイメージが強いですよね。
ですが時折出回る年齢不詳な容姿や、屈強な肉体は凄まじいものがあります。
そしてネット上ではプーチン大統領の若い頃がイケメン!として話題となっているようです。
そこで今回は、プーチン大統領の若い頃を時系列で紹介していきたいと思います。
【画像】プーチンの若い頃がイケメン!KGBスパイ時代や柔道姿を時系列で!
若かりしプーチン大統領は、色素が薄く、目が大きく、鼻が高くtheロシアの美青年と言った感じの美貌ですね。
では、プーチン大統領の幼少期から若い頃のイケメン画像や、KGBスパイ時代や柔道姿を時系列で紹介していきたいと思います。
小学生の頃1960年(8歳)
プーチン大統領8歳の時の学級集合写真。
1960年、ロシアのサンクトペテルブルクにて撮影されました。
プーチン氏はソ連時代の1952年、バルト海に面した港町・レニングラード(現サンクトペテルブルク)で生まれます。
終戦から7年後、まだ第二次世界大戦後の混乱期でした。
プーチン氏の父は激しい独ソ戦を戦い抜いた傷痍軍人で、周囲の尊敬を集めていた厳格な共産主義者、戦争の英雄だったそうです。
戦後、父は鉄道車両工場で熟練工として働き、母も夜間警備員や清掃員の仕事をして家計を支え住まいは、20平方メートルほどのアパートだったとされています。
また、記憶力は抜群で頭の回転も速かったが、問題児で悪ふざけを繰り返していたと証言しプーチン氏自身も後に幼少時代は相当な悪童であったと告白しています。
中学時代1966年(14歳)
プーチン氏は小説や映画で、特にフランスが製作したリヒャルト・ゾルゲの映画を見てからスパイに憧れを抱いたとされています。
ソ連国家保安委員会(KGB)への就職を考え、14歳の9年生(日本の中学3年生に相当する)の時に彼はKGB支部を訪問。
応対した職員にどうすればKGBに就職できるのか質問したそうです。
この頃は凄い美少年ですね。
ソ連国家保安委員会(KGB)は、1954年からソビエト連邦の崩壊まで存在したソビエト社会主義共和国連邦の情報機関・秘密警察。
軍の監視や国境警備も担当していた。
東西冷戦時代にはアメリカの中央情報局と一、二を争う組織と言われていたが、ソビエト連邦の崩壊と同時に共和国間保安庁、中央情報庁、連邦国境庁などに権限を移行した。
高校〜大学時代1970年(18歳)
こちらの画像は18歳のプーチン大統領で高校3年生か大学時代です。
当時プーチン大統領はKGBに入りたかったため、
- KGBは自ら志願してきた者を絶対に採用しない
- 大学の専攻は法学部が有利であること
- 言動や思想的な問題点があってはならないこと
- スポーツの実績は対象者の選考で有利に働くこと
というアドバイスを忠実に守り、柔道に打ち込み、レニングラード大学法学部に入学。
在学中も自分からはKGBに接触しなかったそうです。
パーティーに参加しその時に、レニングラードのアパートの1つでクラスメートのエレナと踊るプーチン大統領。
柔道をするプーチン大統領1970年代(18歳〜20歳)
プーチン大統領は小学校時代から柔道やサンボをしていて大学時代もずっと柔道をしていました。
2000年に日本に来日した時は、柔道の総本山である講道館から「講道館柔道6段」を授与されるほどの腕前だったようです。
KGB時代1975年〜(20代〜30代前半)
KGBの制服を着るプーチン大統領。
大学4年次にKGBからのリクルートを受け、プーチン氏は1975年に大学を卒業後KGBへ就職しました。
KGB職員であるためにはソビエト連邦共産党への入党が条件だったため、プーチン氏は共産党員になっています。
なんだか映画に出てきそうな雰囲気がありますね。
結婚1983年(31歳)
プーチン大統領と前妻のリュドミラ・シュクレブネワさんとの結婚式での画像。
プーチン大統領の前妻・リュドミラ・シュクレブネワさんは元客室乗務員で、プーチン大統領の猛アタックで1983年に結婚されました。
しかし2013年6月6日に離婚しています。
プーチン氏は、子どもたちを世間の目から守ることには並々ならぬ力を注いでいて、そもそも子どもがいるのかどうかさえ疑わしいと考える人も多いんだとか。
東ドイツに派遣される1985年(33歳)
東ドイツに出発する前に父のウラジーミル・スピリドノヴィチ、母のマリア・イヴァーノヴナと写真を撮るプーチン氏。(1985年)
1986年次女エカテリーナがドレスデンで生まれました。
プーチン大統領はドイツに派遣されている1989年にベルリンの壁崩壊を目の当たりにします。
東ドイツには1990年まで滞在し、NATOをはじめとした政治関係の情報を集める諜報活動に従事したとプーチン自身は語っています。
政界へ1990年(39歳)
1990年、プーチン氏はKGBに辞表を提出し同年5月にレニングラード市ソビエト議長だったサプチャークの国際関係担当顧問となります。
1991年6月、サプチャークがレニングラード(同年11月にサンクトペテルブルクに名称を変更)市長に当選すると、対外関係委員会議長に就任。
その後、1992年5月にサプチャークによりサンクトペテルブルク市副市長、1994年3月にサンクトペテルブルク市第一副市長に任命されました。
こちらの画像は1999年(47歳)の時のプーチン大統領です。
左側が当時の大統領・エリツィン大統領。
1999年プーチン大統領は第一副首相となります。
第1期大統領時代2000年(48歳)~2008年(56歳)
2000年5月7日、エリツィンの後を受け、ロシア連邦大統領選挙で過半数の得票を受けて決選投票無しで当選し第2代大統領に就任しました。
第2代ロシア連邦大統領に就任したプーチン氏は「強いロシア」の再建を目標としました。
その後、2004年の大統領選挙では再選を果たし、連続2期8年間、政権を担いました。
2001年4月に就任した小泉総理は、7月21日ジェノバ・サミットの際に初めてプーチン大統領と会談しました。
2008年5月に大統領を退任しメドヴェージェフ大統領に首相に任命され4年間首相職を務めます。
大統領再登板2012年(60歳)
2012年5月7日にクレムリンで行われた就任式典を経て、正式に第4代ロシア連邦大統領に就任しました。
2008年の憲法改正により、今任期からロシア連邦大統領の任期が6年となったため、任期満了は2018年となります。
2018年3月18日の2018年ロシア連邦大統領選挙では得票率76パーセントで圧勝し、任期満了は2024年となっています。
まとめ
今回はプーチン大統領の若い頃のイケメン画像や、KGBスパイ時代や柔道姿を時系列でまとめました。
若い頃のプーチン大統領は映画にでてきそうなイケメンでしたね。
では、最後まで読んでいただきありがとうございました!