2022年2月20日歌手で俳優の西郷輝彦さんが前立腺がんのため、都内病院で亡くなりました。
西郷輝彦さんは若い頃はかなりのイケメンで「御三家」と呼ばれるほどの人気を誇ったそうです。
ジャニーズに所属していた?との噂もあるようですね。
なので今回は、西郷輝彦さんの若い頃やジャニーズ出身の噂についてを調査してきました!
【画像】西郷輝彦の若い頃がイケメン!
歳を重ねてもハンサムだった西郷輝彦さんは、若い頃は相当イケメンだったそうです。
西郷輝彦さんは若いころ、ジャズが好きだった兄の影響で音楽に傾倒し、将来は歌手になりたいとの夢を抱いていました。
また日活映画にも憧れを抱き、俳優も夢見ていたそうです。
ですが、映画会社のオーディションに5社も応募するものの結果はまさかの不合格!
1962年に鹿児島商業高校を中退し、ジャズ喫茶のオーディションを受けても不合格になってしまいます。
ですが、審査員の一人に目をかけられ、バンドボーイになり、バンド活動をしていた際にスカウトされ、歌手としてデビューすることになりました。
では、歌手デビュー後からの西郷輝彦さんの若い頃を画像とともに見ていきたいと思います。
「君だけを」レコードデビュー1964年(17歳)
1964年2月に「君だけを」でレコードデビュー。
60万枚を売り上げるヒット曲になりました。
西郷輝彦さんはこの時17歳でした。
その年に第6回レコード大賞・新人賞も受賞しています。
爽やかですね!
平成や令和の17歳、高校2年生と比べると大人っぽく凛々しさも感じますね。
そしてその年に「十七才のこの胸に」で映画デビューも果たします。
歌手と俳優になりたいという夢が同時に実現していますね!
レコード「星のフラメンコ」1966年(19歳)
1966年に発売した「星のフラメンコ」は、30万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
この時西郷輝彦さんは19歳。
少年ぽさはほぼなく、かなり大人っぽい魅力が溢れていますね!
この曲は、いくつかの歌手によるカバーのほか、タモリ(曲名は「肉のフラメンコ」)やCMなどにパロディー化もされているそうです。
のちに本人出演のテレビCMでのセルフパロディーもありました。
ノリの良い方なのですね!
また、2008年には、フラメンコの本場であるスペイン出身の歌手・ライートが自身のアルバムでカバーしています!
レコード「真夏のあらし」1970年(23歳)
1970年代に入り、
- 「真夏のあらし」(第12回日本レコード大賞作曲賞受賞曲)
- 「情熱」
- 「略奪」
- 「愛したいなら今」
とロックポップス色を前面に出した曲が立て続けにヒットし、1971年2月には日生劇場でのロングラン公演を果たし大成功を収めました。
個人的に1970年代、20代の西郷輝彦さんがめちゃくちゃカッコイイと思いました…!
10代のレコードデビューしたばかりの頃より余裕があり、でも若々しさもある雰囲気がとてもカッコイイです。
西郷輝彦・辺見マリと電撃結婚1972年(25歳)
1972年に当時人気歌手だった辺見マリさんとと軽井沢で電撃結婚しました。
お二人とも人気絶頂期だったため、かなり話題になったそうです。
辺見マリさん相当美しいですね…
二児(一男一女)をもうけましつが、1981年に性格の不一致を理由に離婚。
離婚に至った発端は歌手、現代劇、時代劇で多忙を極めた活躍により自宅に帰るのは週に一度という生活だったと回想しています。
長男はミュージシャン・プロモーターの辺見鑑孝さん、長女はタレントの辺見えみりさんです。
ドラマ「どてらい男」1973年(26歳)
1973年、西郷輝彦さんが26歳の時に山善創業者・山本猛夫の半生を描いたテレビドラマ「どてらい男(ヤツ)」に「山下猛造」役で主演しました。
同番組は高視聴率を獲得し1977年までのロングランヒットとなり、これ以降歌手活動を縮小し、俳優活動がメインとなります。
ドラマ「江戸を斬る」1975年(28歳)
1975年からは時代劇にも進出した西郷輝彦さん。
凛々しい顔立ちが時代劇で栄えますよね!
国民的時代劇であるTBS「水戸黄門第6部」の第1話にゲストとして招かれます。
この出演がきっかけで、西郷輝彦さんが28歳で時代劇「江戸を斬る」の主演・遠山金四郎役に抜擢されました。
同時代劇で京都映画祭新人賞を受賞。
また第4シリーズの初回において最高視聴率36.7%を獲得するなどの人気シリーズとなり、俳優としての地位を確立しました。
20代後半とは思えない貫禄がありますね。
西郷輝彦さんは、NHK大河「独眼竜政宗」の片倉景綱役や、時代劇「水戸黄門」(TBS系)の松平頼常役で名を馳せました。
アップダウンクイズ司会1983年(36歳)
西郷輝彦さん36歳、1983年からは長寿クイズ番組である「アップダウンクイズ」の3代目司会者に就任しました。
CD「別れの条件」1994年(45歳)
1994年、45歳の西郷輝彦さんはデビュー30周年を機に、「別れの条件」で歌手活動を再度本格化させました。
40歳を超えてもハンサムで素敵ですよね!
御三家ツアー2000年(51歳)
2000年10月からは橋幸夫さん、舟木一夫さんとともにG3K(御三家)ツアーとして、2001年12月まで全国100カ所以上においてコンサートを行いました。
ツアーは大盛り上がりで、好評を博したそうです!
この頃の西郷輝彦さんが、何となく自分の中でイメージする西郷輝彦さんですね!
娘・辺見えみりと共演2018年(72歳)
西郷輝彦さんは、2018年フジテレビ系バラエティ番組『ダウンタウンなう』で娘・辺見えみりさんとテレビ初共演されています。
この時は、離婚後離れて暮らす娘に会いたくてたまらなく西郷さんが辺見えみりさんに内緒でとっていた行動の数々を初めて告白。
娘の姿が見たいあまり、自宅近くや学校まで行ってしまった話や娘・えみりさ?の思いを初めて聞き、西郷さんが涙する場面もありました。
意外と(?)子煩悩タイプだった方なんですね。
西郷輝彦にジャニーズ出身の噂も?
西郷輝彦さんについて調査していると、
- 『西郷輝彦って昔ジャニーズにいなかった?』
と言う記述を見つけました。
確かに、昔の写真を見る限り、ジャニーズ出身と言っても違和感がないほどイケメンでしたが、実際はどうなのでしょうか。
西郷輝彦とあおい輝彦が混同している?
いろいろ調べてみると、西郷輝彦さんがジャニーズに所属していた過去はないようです。
恐らく、名前の似ているあおい輝彦さんと混同しているのかと思われます。
あおい輝彦さんは1962年ジャニーズ事務所のアイドル第1号「ジャニーズ」でした。
昔は【ジャニーズ事務所】ではなく、グループ名で「ジャニーズ」だったんですね。
メンバーは、
- あおい輝彦さん(74)
- 飯野おさみさん(75)
- 故真家ひろみさん
- 中谷良さん(74)
でした。
ジャニーズが人気の当時、「御三家」と呼ばれた西郷輝彦さんも圧倒的な人気を誇っていました。
- 西郷輝彦さん:1964年デビュー
- あおい輝彦:1962年デビュー
このようにデビュー時期も近く名前も「輝彦」と付きます。
年齢も、
- 西郷輝彦さん:1947年2月5日(75歳)
- あおい輝彦さん:1948年1月10日(74歳)
と1歳差なので、混ざってしまったのでしょうね…!
1967年にジャニーズは解散するのですが、あおい輝彦さんは売れっ子俳優の道を歩みました。
まとめ
今回は、歌手で俳優の西郷輝彦さんの若い頃についてや、ジャニーズの噂について調査しました。
時系列で若い頃を並べましたが、本当にカッコよかったですね!
ジャニーズと言う噂が出ても納得です。
ジャニーズの噂については、おそらく「あおい輝彦」さんと混同してしまったのかと思われます。
デビュー時も年齢も見た感じも似ている事から言われたのかもしれません。
西郷輝彦さんは、まだまだ活躍されると思っていましたのでとても残念ですね…
ご冥福をお祈りします。