コロナウイルスの影響で延期となった2020東京オリンピック。
2021年4月、東京五輪の400メートルリレーのメンバーに塩浦慎理選手が選抜されました。
2020年5月末にタレントのおのののかさんとの間に第一子が誕生したことでも注目を集めていますが……
東京五輪では家族に捧げる渾身の泳ぎを披露してほしいですね!
今回は塩浦慎理選手の学歴について紹介します。
流石はオリンピアン、中学の頃からその実力は抜きんでていたようですよ!
塩浦慎理の学歴まとめ
塩浦慎理選手がこれまで通われた学校は以下の通りになっています!
- 小学校:伊勢原市立比々多小学校
- 中学校:伊勢原市立山王中学校
- 高校:湘南工科大学附属高等学校
- 大学:中央大学
では、学生時代を振り返っていきましょう!
塩浦慎理の小学校は比々多小学校!
塩浦選手の出身小学校は、伊勢原市立比々多小学校です。
こちらは、小学校の卒アル写真。
すでにめちゃくちゃ面影がありますよね!
ネックレスもつけていて、小学生にしてとてもオシャレなことが分かります。
ちなみに日比多小学校であるということは、ご自身のTwitterで言及されています。
小学校卒業時にすでに身長180cm!
2歳で水泳を始めたという塩浦選手。
幼稚園の頃に通っていたスイミングスクールのコーチからは、
と声をかけられたそう。
母親の塩浦志子さんは、当時はその意味がよく分からなかったそうで、
数年後にジュニアオリンピックで隣を泳ぐ子と見比べたら、
「慎理は本当に体が水の上に乗っていた」
と、彼の才能に驚いたんだとか。
また、小学校卒業時にはすでに約180センチとなっており、すでに頭角を表していたようです。
※現在は188センチ
小学生で180センチだなんて、周りの子供たちは彼を見上げていたことが想像できます。
恵まれた体格もまた一つの才能ですね。
習字も5段!
また、水泳意外にも習字を小学生まで習っていたそうで、5段までいったそうです。
こちらが塩浦選手の字。
とても綺麗ですよね。
いろいろなことが器用にできた小学生時代だったことが想像できます。
塩浦慎理の中学校は伊勢原市立山王中学校!
塩浦慎理選手が通われていた中学校は、伊勢原市立山王中学校です!
画像を見る限り、随分大きなグラウンドを持つ学校であることが分かりますね。
神奈川県にある中学校で、塩浦慎理選手の地元の学校になります。
彼自身も母校に訪れて、お話されていました。
中学時代からその高い実力を遺憾なく発揮!
2004年からは毎年のように、日本全国から実力者が集う「JOCジュニアオリンピックカップ」で結果を残します。
特に2006年夏季の大会では、13歳、14歳のクラスに出場し、50メートル、100メートル自由形で二冠を獲得。50メートルに至っては当時の大会記録をたたき出しました!
2007年の春季大会では、100メートル自由形で当時の中学生記録を更新、圧倒的なスケールを全国の舞台で見せつけましたよ!
2006年に開かれた「全国中学校体育大会」という大会でも50メートル、100メートル自由形で二冠を達成。
誰もが「将来はとんでもない選手になる」と信じて疑いませんでした。
成績も学年トップ!
さらに、水泳以外にも勉強もかなりできたようで、中学の時の成績は常に「学年トップ」だったそうです。
運動もでき勉強もできる、字も上手い
まさに文武両道ですよね!
塩浦慎理の高校は湘南工科大学附属高等学校!
塩浦慎理選手が通われた高校は、湘南工科大学附属高等学校です。
神奈川県の私立大学である本校。
体育コースと呼ばれる、部活動を中心に授業を進めるコースが存在する学校で、とても運動部の活動が活発な高校です。
水泳選手だけでも
- アテネ、北京五輪メダリストの中村礼子さん
- ロンドン五輪メダリストの立石諒さん
を輩出しています。
更にプロバスケ、プロテニス、プロボクシングの選手に体操の五輪メダリスト、サッカー日本代表まで!
スポーツエリートが沢山通う高校だったんですね!
塩浦選手は5人目のオリンピアンになったと、高校で壮行会が行われたことを報告していました。
高校でも塩浦慎理選手の快進撃は止まらない!
優秀なスポーツ選手が沢山集う高校に通われ、塩浦慎理選手もますます成長していきます。
高校生になってもその快進撃は留まるところを知りませんでした!
2009年の国民体育大会では50メートル自由形で当時の大会記録をたたき出し、インターハイでは湘南工科大学附属高等学校代表として三年間毎年出場。
一年時からリレーメンバーとして金メダルを獲得し、
三年生で迎えた2009年には
- 50メートル
- 100メートル自由形
- 4×100メートル
- 4×200メートルリレー
の4種目で金メダルを獲得しました!
極めつけには三年時のジュニアオリンピックカップ。
100メートル自由形において、高校生として初めて50秒の壁を破ったのです。
高校卒業後の2009年3月末に開かれた春季ジュニアオリンピックでは、自身が前年夏に出した記録を大幅に更新し、100メートルを48秒10で泳ぎましたよ!
正に規格外、歴史を辿っても類を見ないスケールの選手でした。
もちろん、食欲も旺盛で、朝6時から、すき家でねぎ玉牛丼特盛を頼んでいたそうですよ。
高校時代は校内の憧れの的
また、中学から変わらず、学業の成績も素晴らしく、生物のテストは3回連続100点を取っていたそうですよ。
高校の水泳部監督によると、
ということでした。
努力する才能が人並み外れたものがあったそうで、地味な持久系の練習ばかりでも、黙々と取り組んだそう。
おまけに成績はオール5と、本当に努力を続けてらっしゃったということですよね。
塩浦慎理の大学は中央大学法学部!
塩浦慎理選手が通われた大学は中央大学です!
水泳選手として既に目覚ましい活躍を見せていた塩浦慎理選手。
当然大学でも水泳に励まれますが、一方で入学されたのは「法学部」なんですね。
法学部と聞くととても勉強が難しそうなイメージがありますし……
検事や弁護士になるのに必要なもの、という印象もありますから、塩浦慎理選手には必要な勉強というイメージとも遠くて少し意外です。
ちなみに塩浦選手の弟さんも同じく、中央大学の水泳部に所属していましたよ。
弟の詳細はこちら。
アクシデントも、挫折乗り越え日本記録樹立!
大学生になってからも世界の学生が集う「ユニバーシアード」という大会で活躍するなど、その怪物っぷりを見せていた塩浦慎理選手。
2012年にはロンドン五輪がありましたから、当時は五輪の舞台での塩浦慎理選手の活躍にも期待がかかっていました。
しかし、2012年3月に左人差し指を骨折するアクシデントに見舞われます。
もしこの年、五輪に出場できなかったら競技は引退しようと思っていました。ロンドン五輪の前年には日本記録も出していましたし、確実に日本代表には入れるだろう、と思ってやっていたんですけど、直前のケガもあって落選してしまって。
引用:livedoor NEWS
アテネ五輪の頃から五輪出場を目指し、ロンドン五輪に懸ける思いが強かった塩浦慎理選手。
骨折の影響で泳ぎのスピードが落ち、五輪代表から落選してしまった際には一時水泳から離れてしまったんですって。
就職活動を始めていた周りの学生にならって、企業説明会に参加したこともあったようです。
しかし周りからの期待や励ましの声、何より自身の後悔したくないという気持ちから、塩浦慎理選手は再び水泳選手として返り咲きました!
もうひとつは、僕自身が人生を終えるとき、死ぬときに、何かひとつ後悔が残るとしたら、五輪に行けなかったことなんじゃないか、と思ったんです。
引用:livedoor NEWS
大学4年で迎えた日本選手権では50メートル自由形で当時の日本記録を更新!
塩浦慎理選手の復活を印象付ける泳ぎでした。
大学卒業後も再びのアクシデントによる入院などを経験しますが、リオ五輪に出場しオリンピック出場の夢をかなえた塩浦慎理選手は今なお現役。
母国開催となった東京オリンピックでも躍動すること間違いなしですね。
まとめ
今回は塩浦慎理選手の学歴について紹介しました。
類まれなる才能を持ちながらアクシデントに見舞われ、一時は水泳から離れてしまった塩浦慎理選手。
しかし何度でも立ち上がり、私たちに数々の感動を与えてくれました。
東京五輪での泳ぎは、もしかすると塩浦慎理選手の集大成となるのかもしれません。
全力で応援したいですね!