2022年5月3日、俳優として活躍された渡辺裕之さんが亡くなられました。
リポビタンDのCMなどにも出演し、多くの方から愛された渡辺さん。
今回は、彼の若い頃について紹介していきます!
渡辺裕之の経歴プロフィール
渡辺裕之さんのプロフィールは以下のようになっています。
- 本名7渡邊裕之(わたなべひろゆき)
- 生年月日:1955年12月9日
- 出生地:茨城県水戸市
- 身長:176㎝
- 血液型:B型
- 職業:俳優
- 活動期間:1980年〜2022年
任侠物など、Vシネマでの活躍も目立った渡辺さん。
近年では大ヒットドラマ「ノーサイド・ゲーム」にも出演。
2022年にも1月からテレビ朝日系列で放送された「もしも、イケメンだけの高校があったら」や、
WOWOWなどで放送された「TOKYO VICE」に出演されていました。
正しく「生涯現役」だったんですね。
【画像】渡辺裕之の若い頃がイケメン!
1980年、24歳の時に芸能活動を開始された渡辺裕之さん。
端正な顔立ちや鍛え上げられた肉体が話題を呼び、デビューから間もなく一気に人気を博しました。
画像と共に渡辺さんの半生を振り返っていきたいと思います。
リポビタンDのCMでブレイク
茨城県、水戸市で生まれた渡辺さん。
子どもの頃はボーイスカウトをしており、鼓笛隊で叩いた太鼓を褒められた経験からドラマーに憧れた少年時代でした。
- 中学生の時にキャバレーに飛び入って3000円のギャラを貰った
- 高校では仲間とバンドを結成した
といったエピソードを語られています。
そんな渡辺さん、柘植大学商学部経営学科を卒業後、ルフトハンザ航空の準社員や外国人のモデルなどの仕事もされましたが……
高校生の頃から「将来芝居の仕事をしたい」ということは考えていたそう。
当時の目標は石原裕次郎さんやフランキー堺さんだったそうです。
水戸商業高校に入学すると、仲間とバンドを結成し、「楽器ができて、芝居でも笑わせ、泣かせるエンターティナーになろう」と決意。
引用:SmartFLASH
楽器もできて芝居で「笑わせ」、泣かせるエンターティナーが目標だったんですね。
芸能活動の開始は1980年のコカ・コーラのCM。
更に1982年に映画「オン・ザ・ロード」で俳優としてもデビューしましたが、当時は俳優の仕事は少なかったそうです。
下積み時代もドラム業やマネージャー業で食うに困ることはなかったそうですが……
そんな折、大正製薬の「リポビタンD」のCMへの出演依頼が渡辺さんに舞い込みます。
モデル事務所やキャスティング会社が集まるパーティがあり、『真田広之さんの次をやってみないか』と、お話をいただいたのです。
引用:SmartFLASH
今ではお馴染みの「ファイトー!」「イッパーツ!」のキャッチフレーズが人気を博し、これをきっかけに渡辺さんはスターダムへと駆け上がることになりました。
渡辺さんはリポビタンDのCMに1993年まで出演、計132本も撮られたのだとか。
CMキャストが代替わりして以降も、節目の記念イベントなどに出席されることもありました。
大正製薬にとっても、渡辺さんは特別な存在だったんですね。
嵐シリーズ主演で地位を確固たるものに
1986年からはフジテレビ系列で放送された昼ドラ「愛の嵐」で主演。
「愛の嵐」はその後「華の嵐」「夏の嵐」とシリーズ展開、通称「嵐シリーズ」となったのですが、渡辺さんはそれら三作全てに出演されました。
二枚目俳優としての存在感を存分に発揮し、高木美保さんとの「ゴールデンコンビ」でも話題に。
まさしく俳優として箔がついた作品となったわけです。
本人も同作の手ごたえは、周りの視線から感じ取っていたとのこと。
昼ドラにも関わらず女子高生にもウケたという話ですが……
『女子高生が、このドラマを観たいがために早退した』という話も聞こえてきました。
引用:SmartFLASH
きっと早退したくなるほどに渡辺さんがカッコよかったのでしょうね。
嵐シリーズの撮影で「本当に多くのことを学んだ」という渡辺さん、とても貴重な日々だったようです。
Vシネマ、特撮物でも存在感を発揮
その後、渡辺さんは非常に幅広いジャンルの作品で活躍されます。
男らしくカッコいい容貌、ガタイの良さから極道物の映画などにも出演、主演を張られたことも。
Vシネマの作品にも多数出演されました。
ゴジラシリーズなどの怪獣ものやウルトラマンシリーズ、仮面ライダーシリーズなどの特撮作品にも多く出演。
とりわけ「仮面ライダー電王」の劇場版では、史上最高齢51歳にして仮面ライダーとして登場されました。
「ウルトラマンガイア」では司令官を演じた渡辺さん。
子どもの幼稚園に行ったところ、子どもの友達に敬礼されたというエピソードがあります。
正しく老若男女問わず支持を集める俳優さんだったんですね。
妻と夫婦役で共演も
1994年に女優の原日出子さんと結婚された渡辺裕之さん。
結婚のきっかけはドラマでの共演。
意気投合した後に、渡辺さんから猛アプローチしたそうです。
渡辺さんは、原さんのことを『自分の家族に似ている』と感じていたそうで安心感がパートナーとしての決め手だったといいます。
引用:女性自身
原さんはこれが再婚で、前夫との間に子どももいましたが、渡辺さんは実子のように育てていたのだとか。
芸能界でも屈指と言われるほどのおしどり夫婦だったそうですよ。
2009年にはテレビ朝日で放映された短編映画「雪の花」で夫婦役として共演。
原さんが更年期障害で苦しんだ時も、渡辺さんが懸命に支えられました。
スポーツマンとしての一面も
渡辺さんがブレイクを果たした理由が、端正な顔立ちと鍛え上げられた肉体。
学生時代は吹奏楽部であり、絵を描くことも好きだという渡辺さんは自身を「文化系」と評していましたが……
映画雑誌で海外の俳優がジムでトレーニングしている記事を見たのを参考に、トレーニングを行っていたそうです。
僕も、『台詞や表情だけでなく、肉体でも表現できる俳優』を目指し、トレーニングをしてきました。
引用:SmartFLASH
多趣味でもあった渡辺さんは、役者の仕事だけでなくスポーツでもの肉体を存分に活かされました。
なんでも……
- 乗馬
- スキー
- 水泳
- スキューバダイビング
- パラグライダー
- ゴルフ
といったスポーツやアクティビティを特技、及び有資格としていたそうですよ。
スポーツも、芸術も。
多方面で活躍された渡辺さんは、正に人生を謳歌されていたのですね。
まとめ
今回は渡辺裕之さんについての紹介でした。
紳士的で、健康的で、誰からも慕われていた渡辺さん。
それだけに、突然の訃報に多くの方が悲しまれています。
渡辺裕之さんのご冥福をお祈り申し上げます。