自民党新総裁に岸田文雄さんが選出されましたね!
彼の家系図を見ると、政治家や会社経営者など、錚々たる面々が揃っていて、まさに「華麗なる一族」と言っても過言ではないと思います。
今回は、岸田さんの家系図、華々しい経歴を見ていきましょう!
【家系図】岸田文雄の華麗なる一族
まずは、岸田文雄さんの華麗なる一族の家系図をご覧下さい!
凄いですね…!
すごい人が多すぎて、もはや見えづらいので以下に一覧化します。
父・岸田文武 | 元衆議院議員(東大法学部卒) |
---|---|
父方祖父・岸田正記 | 元衆議院議員(京都帝国大学法学部卒)
幾久屋商事社長、穏田マンション社長 |
父方叔父・岸田俊輔 | 広島銀行元会長 |
岸田俊輔の義父・青木大吾 | 三井常任監査役、三共化化成工業社長 |
父方叔父・宮澤弘(父の兄弟の配偶者) | 元参議院議員 |
宮澤弘の兄・宮澤喜一 | 元首相 |
父方従兄弟・宮澤洋一 | 元参議院議員、元衆議院議員 |
宮澤弘の父・宮澤裕 | 衆議院議員 |
母方祖父・井口良二 | 日東製粉社長 |
母方叔父・井口三郎 | 新日本振興社長 |
井口三郎の義弟・糸山英太郎 | 元衆議院議員 |
弟・岸田武雄 | 三菱商事勤務(慶應大学卒) |
弟の配偶者の父親・小池和夫 | 湖池屋創業者 |
wikiでまとめられている人物も多く、濃すぎる家系図になっています。
まさに、”華麗なる一族”と言っても過言ではないでしょう。
父、祖父はいずれも元衆議院議員。
弟さんは、政治家ではないようですが、三菱商事に勤めるエリート会社員のようです。
また、少し遠い関係にはなりますが、第78代内閣総理大臣の宮澤喜一さんの名前まで!
社長も多く、湖池屋創業者の小池和夫さんまで親戚のようです!
では、岸田文雄さんの祖父や父、親戚をさらに詳しく調査していきたいと思います。
※ちなに、総裁選で決選投票となった相手の河野太郎さんも驚くべき華やかな家系となっております。
岸田文雄の父|岸田文武は元衆議院議員
- 名前:岸田文武(きしだ・ふみたけ)
- 出身地:広島県広島市
- 生年月日:1926年8月19日
- 没年月日:1992年8月4日(65歳没)
- 出身校:東京大学法学部政治学科
- 前職:通産官僚、中小企業庁長官
- 経歴:元自民党衆議院議員(5期)
岸田文雄さんのお父さん・岸田文武さんは、東大出身のエリート。
ちなみに岸田文雄さんは、3回東大にチャレンジするものの、受かることはなく早稲田大学に進学されています。
父親の話に戻すと、文武さんが東大に入学したのは、戦争末期のころ。
当時は勉強どころではなく、連日の勤労動員に続いて、終戦間近の時には、学徒動員で旭川の師団に入隊しました。
文武さんは、広島市出身だったのですが、1945年8月6日に原子爆弾が同市に落とされると、ご実家もその被害に遭い、多くの知人をなくされたそうです。
在学中に高等文官試験(高級官僚になるための試験)に合格。
1948年に東大を卒業。
その後は、1949年通産省(現・経済産業省)入省、1974年貿易局長、1976年中小企業庁長官を歴任して1978年退官。
1979年の第35回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選し、以降当選5回となっています。
1990年3月には内閣委員長という要職に就任。
第2次中曽根内閣においては総務政務次官、第3次中曽根内閣では文部政務次官。
自民党においては、
- 都市局長
- 資源・エネルギー対策調査会副会長
- 中小企業調査会副会長
- 調査局次長
- 行財政調査会副会長
- 党経理局長
などを務め、陰から自民党を支えました。
ちなみに当選同期には麻生太郎さんがいらっしゃいますよ!
その後65歳という若さで亡くなられています。
自他共に認める読書家!
文武さんは、自他ともに認める読書家。
と言われるほどだったそう。
読む本の内容は、分野にこだわらず幅広く、国の未来を見据えるために、多くの知識、情報を取り入れ、それを政策として反映させた人物だったそうですよ!
とても素敵な父親ですね。
岸田文雄の祖父|岸田正記は元衆議院議員で実業家
- 名前:岸田正記(きしだ・まさき)
- 出身地:広島県賀茂郡西志和村
- 生年月日:1895年12月1日
- 没年月日:1961年6月3日(65歳没)
- 出身校:京都帝国大学法学部
- 前職:不動産業、百貨店経営
- 経歴:元自民党衆議院議員(6期)
岸田文雄さんの祖父・岸田正記さんも京都帝国大学(現・京大)出身のエリート。
に広島県立広島商業学校、長崎高等商業学校、京都帝国大学法学部卒業
大学在学中の1922年高等文官試験行政科に合格します。
その後、先代経営の貸家業を継ぎ、1933年に幾久屋百貨店を創立。
中国の大連・奉天で不動産業や百貨店経営に従事していました。
1928年に衆議院議員となって、以後6期連続当選。
その間、
- 第1次近衛内閣の海軍参与官
- 小磯内閣の海軍政務次官
- 翼賛政治会国防委員長
- 自由党総務
などを歴任しました。
戦後は、公職追放されてしまいます。
しかし、追放解除後の1953年に衆議院議員に当選。
代議士に復帰し1期務め、幾久屋商事社長、穏田マンション社長を歴任しました。
岸田文雄の親戚|宮澤喜一は元総理大臣!
- 名前:宮澤喜一(みやざわ・きいち)
- 出身地:東京府東京市
- 生年月日:1919年10月8日
- 没年月日:2007年6月28日(87歳没)
- 出身校:東京帝国大学法学部政治学科卒業
- 前職:大蔵省大臣秘書官
ちょっと遠い親戚ではありますが、岸田文雄さんの叔母・岸田玲子さんの義父は元首相の宮澤喜一さん。
親戚に総理大臣がいるなんて、想像できないですよね。。
上記の画像は、岸田文雄さんの父・文武さんを偲び、文雄さんを励ます会の様子。
宮澤喜一さんの後ろには、岸田文雄さんと妻の裕子さんが立ってらっしゃいます。
前述の通り、岸田文雄さんのお父さんは、65歳という若さで亡くなられています。
この会には宮澤喜一さんの他、橋本龍太郎さんや森喜朗さんなど、政界の有名人が集結されたそうですよ。
学歴との経歴
宮澤喜一さんも、東大出身のエリート。
1942年1月、大蔵省に入省。
1953年に、第3回参議院議員通常選挙に広島県選挙区から出馬し当選し、2期務めます。
1967年に、衆議院に鞍替え出馬して第31回衆議院議員総選挙に当選。
以後、
- 通商産業大臣(第32代)
- 外務大臣(第103代)
- 内閣官房長官(第44代)
- 副総理
- 大蔵大臣(第88・89代)
- 内閣総理大臣(第78代)
- 郵政大臣(第56代)
- 農林水産大臣(第18代)
- 大蔵大臣(第105・106・107代)
- 財務大臣(初代)
- 自由民主党総務会長
- 自由民主党総裁(第15代)
などを歴任しました。
1991年に総裁選挙で勝利、72歳にして内閣総理大臣に就任。
参議院議員経験者としては初めての内閣総理大臣でした。
1993年6月に内閣不信任案が提出され、同年8月9日を持って内閣総理大臣を退きました。
岸田文雄の父方従兄弟|宮澤洋一も元衆議院議員
- 名前:宮澤洋一(みやざわ・よういち)
- 生年月日:1950年4月21日(2021年9月現在71歳)
- 出身地:東京都
- 出身校:東京大学法学部第2類、ハーバード大学行政学大学院
- 前職:内閣総理大臣首席秘書官、衆議院議員宮澤喜一秘書
岸田文雄さんの従兄弟の宮澤洋一さんも衆議院議員。
なんとなんと、東大卒→ハーバードの超スーパー学歴エリートです。
今のところ出てくる人全員、東大か京大ですね。。
1974年に東京大学法学部第2類を卒業し、大蔵省に入省。
1978年、米国ハーバード大学行政大学院を修了。
大阪国税局岸和田税務署長、 大臣官房企画官、内閣総理大臣首席秘書官を経て1993年に退官。
2000年、第42回衆議院議員総選挙で広島7区から立候補し初当選し、3期務めました。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙で落選したものの、
2010年の第22回参議院議員通常選挙に当選し、国政に復帰し、2期目。
- 経済産業大臣
- 自民党税制調査会長
- 自民党税制調査会小委員長
などを歴任しました。
不祥事も度々起こす
ちなみに、不祥事も結構起こしています。
2007年と2008年に、外国人が50%超の株式を保有する広島県福山市のパチンコ企業「ゴールド」から計40万円の寄付を受けていたことが判明したり。
→その後返金したとのことです。
宮澤洋一さんの資金管理団体「宮沢会」が2010年に広島市内のSMバーに政治活動費を支出していたが判明したり。
→本人は行っていないそうです。
2014年、東京電力(経済産業省の所管対象)の株式600株を保有していることが判明したり。
→東電の株主と経済産業大臣の立場は利害が相反する蓋然性が高いとのことで、今後処分して全額を寄付するとのことです。
2015年、企業から12万円の献金を受けたことが判明したり。
→政治資金規正法は国の補助金の交付決定通知から1年間、企業などに政治献金を禁じています。
…なかなか多いですね。。
岸田文雄の母方祖父|井口良二は日東製粉社長
ここからは、母方の家系も簡単に見ていきたいと思います。
- 名前:井口 良二(いぐち・りょうじ)
- 生年月日:1895年10月11日
- 没年月日:1991年12月14日(96歳没)
- 出身校:東京高等商業学校(現・一橋大学)本科
- 経歴:日東製粉社長、三菱商事常務
顔画像が見当たらないのが残念ですが、岸田文雄さんの母方の祖父・井口良二さんは、日東製粉の社長さんでした。
大学は東大・京大ではありませんでしたが、一橋でも相当な学力ですよね!
1919年、東京高等商業学校(現・一橋大学)本科卒業した後、三菱商事に入社。
本店、倫敦、スラバヤ、神戸、大阪各支店に勤務。
同社常務、旭交易、日東製粉各社長などを務めました。
岸田文雄の親戚|糸山英太郎は元衆議院議員
- 名前:糸山英太郎(いとやま・えいたろう)
- 生年月日:1942年6月4日(2021年9月現在79歳)
- 出身地:東京都
出身校:日本大学経済学部卒業、近畿大学大学院中退 - 前職:新日本観光株式会社代表取締役
これまたかなり遠い親戚ではありますが、
岸田文雄さんの父方の叔父・井口三郎さんの配偶者の兄弟は元衆議院議員の糸山英太郎さん。
糸山さんの父親の佐々木真太郎さんは、ゴルフ場経営で財を築いた実業家で、新日本観光興業(現:新日本観光株式会社)の創立者でした。
富豪としても知られていて、1969年には所得日本一となった過去もあります。
そんな大金持ちの家庭で生まれましたが、幼少期は虚弱体質。
さらに、自らの母が佐々木真太郎の正妻ではないことを知って自暴自棄になり、不良少年になっていきました。
暴行事件を度々起こしたことも。
しかし、大学在学中に足を洗い、日本大学を中退して日比谷商事に就職。
その後、父の経営する新日本観光に入社。
素晴らしい実績を残し、1974年、石原慎太郎氏の後押しにより自民党から第10回参議院議員通常選挙に全国区出馬、32歳で参議院議員に初当選。
しかし、当選直後に大規模な選挙違反が発覚。
1980年の第12回参議院議員通常選挙には、スキャンダルにより出馬を断念。
1983年の第37回衆議院議員総選挙から衆議院議員に転身し、一度の落選を挟んで中選挙区の埼玉3区で3回当選。
1996年の任期途中に辞職しています。
政界引退後は、新日本観光株式会社等の会長職に就き、
糸山政経塾を主宰、湘南工科大学の名誉総長及び名誉教授も務めました。
岸田文雄の親戚|小池和夫は湖池屋創業者!
- 名前:小池和夫(こいけ・かずお)
- 生年月日:1927年
- 没年月日:2009年5月3日(82歳没)
- 出身地:長野県諏訪市
- 経歴:湖池屋創業者
岸田文雄さんの弟・武雄さんの奥さんの父親は、なんと湖池屋の創業者・小池和夫さん!
湖池屋と言えば、あのポテトチップス。
ポテトチップスを作った人が親戚だなんて、、信じられませんね。。
戦後の当時、ポテトチップスは高級なおつまみで一般的には販売されていませんでした。
小池和夫さんがポテトチップスを食べた際、
と、ポテトチップス作りに没頭します。
1958年に、株式会社湖池屋(初代)を設立。
1962年に、日本で初めて本格的にポテトチップスの量産化に成功し、「湖池屋ポテトチップス」が発売されました。
その後も、
- カラムーチョ
- スコーン
- ポリンキー
- ドンタコス
などヒット商品を連発し、今では知らない人はいないほどの一大企業になっています。
まとめ
今回は、岸田文雄さんの家系図を見ていきました。
驚くほど華やかな家系図でしたね〜!
政治家に会社経営者。さすがです。
ちなみに岸田さんの息子さんは、男3兄弟。
秘書をしている息子さんもいるようですし、将来政界で活躍される日も近いかもしれませんね!
・【顔画像】岸田文雄の3人息子は高学歴イケメン!三井物産や秘書務めで将来は政治家?
・岸田文雄の嫁・裕子夫人が超美人で高学歴!社長令嬢名家出身のハイスペック!
・【画像】岸田文雄の若い頃がイケメン!酒豪エピソードもかっこいいと話題!