モデルや俳優として幅広く活動している宮沢氷魚さん。
父親母親ともに有名芸能人ということで、2世俳優さんでもあるんですよね。
そんな宮沢氷魚さん、どんな家庭で育ったのでしょうか?
両親から兄弟まで詳しく見ていきましょう!
宮沢氷魚の家族構成まとめ!
宮沢氷魚さんの家族構成はこちらになります!
- 父親(宮沢和史)
- 母親(光岡ディオン)
- 本人(宮沢氷魚)
- 弟(宮沢海実)
- 妹(宮沢琉歌)
父親・母親・本人・弟・妹の5人家族です。
父も母も有名芸能人で、弟さんも一時期芸能活動をしていたとか!
宮沢氷魚さんはすごい家系だったようですね。
では、お一人ずつ見ていきましょう!
宮沢氷魚の父親はTHEBOOMの宮沢和史!
宮沢氷魚さんの父親は、『宮沢和史さん』です。
- 名前 宮沢和史(みやざわかずふみ)
- 生年月日 1966年1月18日(55歳)
- 出身地 山梨県
宮沢和史さんは、THEBOOMのボーカルとして1980年にデビューしています。
多く知られているのは、『島唄』で多くの方にカバーされている名曲です!
現在は、作曲家としても活動していて、たくさんのアーティストに提供していますよ!
宮沢氷魚さんと和史さんの写真を比べてみると、すごく似ている気がしますね。
かっこいい……!
宮沢氷魚さんは父親のことをとても尊敬しているそうで、以下のように父親のことを語られていました。
父親の宮沢和史さんも、
とエールを送られているのだとか。
とてもいい関係を築いているように見えますよね。
では、続いて、父親とのエピソードをもっと深掘りしていきたいと思います!
「氷魚」の名前の由来は
宮沢氷魚さんの「氷魚」という名前、なかなか珍しいですyね。
「ひお」という読み方が分からない方も多いのではないでしょうか。
名前の由来は、釣り好きの父・宮沢和史さんが、鮎の稚魚「氷魚」からとってつけたそうです!
氷魚は、秋から冬という厳しい季節に琵琶湖でとれることで有名なのだとか。
そんな厳しい環境の中にあっても、強く生き抜いてほしいという意味をこめて「氷魚」と名付けたそう。
少年野球チームのコーチをしていた
子どもの頃の話ですが、家族旅行のときには宮沢和史さんの出身地である山梨県によく行っていたそうです!
その時は、家族で温泉に入りゆっくり過ごしたり、父親と野球の話をしたりして楽しんでいたことが印象的だと話しています!
宮沢氷魚さんは、少年野球チームに所属していたので野球が好きだったそう。
「本当に小さい頃からやってたんで、昔の写真を見返すと、2歳とか3歳とかですでにグローブをはめてキャッチボールしています。
本格的に始めたのは小学校の1年生くらい。そこから大学4年まで続けて、今でもたまに草野球やったりとかしてますね」https://www.mensnonno.jp/post/79847/#shm-vp-4
父親も、たまに少年野球チームのコーチとして指導をしていました!
その指導が、結構厳しかったと言っています。
数少ない休日を家族で過ごせるように、心がけてくれていたのでしょうね。
父親に憧れて芸能界へ
幼少期は、父親の仕事も忙しく学校の行事などになかなか来ることができず、宮沢氷魚さんは寂しい思いをしていたそうです!
やっぱり両親が2人とも芸能活動をしていて、子供の頃から、その姿を見ていたからだと思います。
でも、子供のときは、仕事で両親が家にいないことが多かったので、それがすごく嫌だったんです。だから、絶対に芸能の仕事なんてしたくないって思っていたんですがhttps://www.oricon.co.jp/news/2059449/full/
ですが、中学3年生の時に父親のライブを見て、『やっぱり格好いい』と思ったんだとか…。
父のライブを観て、たった2時間でこんなたくさんの人を感動させることができるんだってことに感動して、「いつか僕も人前に立ちたい」と思って。
https://grapee.jp/991960
2時間のライブで、たくさんの人が感動していることを目の当たりにして、『自分もいつか人前に立ちたい』と思ったみたいです!
そんな宮沢氷魚さんは、父親のことを隠したまま、事務所に履歴書を送っていたそうです!
契約書にサインするときに、初めて父親の名前を明かして、周りがとても驚いていたみたいですね!
もう事務所に入ってからいったんで、(親は)反対できなかったんですよ。
事務所の履歴書も親の仕事を書く欄みたいなのが最終面接であって、それまで僕、いってなかったんですよ。親のことは。
契約書にもサインする時に「仕方ないかな」と思って、『宮沢和史』って書いたら、もうマネージャーさんたちがザワザワし始めて。
(マネージャーたちが)「本当ですか!?」ってWikipediaで調べて。
https://grapee.jp/991960
父親には、事務所に所属してから芸能界の道に進むことを話したそう。
そのときは
と言われたそう。
忠告はするものの、否定はしなかったんですね。
また、いつも宮沢氷魚さんのことを気にかけているようで、オーディションの前にはいつも“謙虚に、礼儀正しく”というメールが来るそうですよ!
音楽の道に進まなかった理由は
父親の影響か、様々な楽器を弾いてきたという宮沢氷魚さん。
音楽がいつも身近にあふれていました。子どもの頃、おもちゃの代わりに楽器を与えられるっていう家庭でしたね。三線、ドラム、ギターはエレキとアコギ両方、それから吹奏楽部だったのでトロンボーンも演奏できます。ベースもたぶん、20~30分あればそれなりには弾けるんじゃないかな。すごくうまいわけじゃないけど、楽しんでます!
https://www.mensnonno.jp/post/45975/#shm-vp-4
色々な楽器に挑戦している彼ですが、
趣味でやるのはいいけど、音楽をずっと続けたいとは思っていなかったそうです。
そのため、「音楽」という選択肢は最初からなかったそうですよ!
芸能の仕事をするなら、音楽とは違うジャンルでと思っていました。
https://www.oricon.co.jp/news/2059449/full/
もちろん、歌手としてオファーが来た場合は、挑戦してみたい!とも語っていました。
いつか一緒に共演したい
芸能活動歴の長い父親とはまだ共演したことがない宮沢氷魚さん。
宮沢氷魚さん自身、父親との共演を希望していて、
と語っていますよ!
理想は、自身が主演するテレビドラマの主題歌や劇中歌を父親に作ってもらいたいのだそうです。
ちなみに、父親の宮沢和史さんは、アーティストとしてはもちろんですが、俳優としても活躍しています。
もしかしたら、いつか俳優として親子共演が見られるときもあるかもしれません…!
宮沢氷魚の母親は光岡ディオン!
宮沢氷魚さんの母親は、『光岡ディオンさん』です!
- 名前 光岡ディオン(みつおかでぃおん)
- 生年月日 1965年7月15日(55歳)
- 出身地 神奈川県
光岡ディオンさんは、父親が日本人、母親がフィリピン系アメリカ人のハーフです!
国際基督教大学教養学部を卒業後、音楽番組などに出演したり、ラジオのパーソナリティを努めるように。
1988年からNHKの「Tokyo Music Joy」などに出演、多くの人に知られる存在になりました。
1994年に、宮沢和史さんと結婚しましたが、お2人の出会いはラジオでの共演だったそうですよ!
光岡ディオンさんは、その後もタレント活動を続けており、情報弁組「直撃LIVE グッディ!」の月曜コメンテーターを務めていました。
では続いて、母親とのエピソードを見ていきましょう!
母親は里帰り出産!
宮沢氷魚さんは、米サンフランシスコ生まれの東京育ち。
そのことから、母親のディオンさんの里帰り出産なのでは?と言われています。
ディオンさんは、アメリカ人と日本人のハーフなので、実家がサンフランシスコにあるのでしょう。
ということは、宮沢氷魚さんはクォーターということになりますね!
目の色が茶色いのも納得です。
ちなみに、幼少期はハロウィンの時期によくアメリカに行っていたそうで、↑の画像はその時のものだそうです。
「アメリカはハロウィンの本場でもあるので、かなり気合が入っていて、我が家では毎年母が手作りでコスチュームを作ってくれていました。」
メンズノンノより引用
幼少期はいじめられた過去も
幼少期は、父親はツアー中など自宅を不在にする期間が長ったため、母親・光岡ディオンさんと二人で過ごす時間が多かったそうです。
しかし、そんな彼も幼い頃は、クォーターということでいじめられたそう。
また、アメリカに行っても「ジャパニーズだな」と言われるなど、自分の居場所はどこにあるんだろうと思っていたこともあるそうです。
「僕も小さいころ、クォーターということでいじめられた。
(通った)インター(ナショナルスクール)はハーフや日本語が話せない子もいてオアシスだった。
日本だと外人扱いで、産まれた米国では『ジャパニーズだな』って。
居場所はどこにあるんだろうと思っていた」https://sp.starblog.jp/news49/49947.php
厳しい礼儀作法
また、母親からは、
- 箸の持ち方
- マナー
- 礼儀
など、厳しく教わったそうです。
とても大切なことですよね!
両親ともに仕事で忙しくても、しつけに関してはちゃんとやっていたのですね。
宮沢氷魚さんは、反抗期もなく両親と比較的仲が良かったみたいです。
芸能界入りを母親に相談
父親には、芸能界入りについて後日伝えたという氷魚さんですが、母親には事前に相談していました。
履歴書を送るとき、お母さんにはスカイプで“どうしようかな?”って相談しました。
そうしたら「いいんじゃない。頑張りなよ」って言ってくれたので送ったんです。
芸能界入りを否定することもなく、「がんばりなよ」と言える母親の懐の深さが感じられますね!
ドラマを一緒に見ていた
他にも、2017年に放送されたドラマ『コウノドリ』に出演していましたが、その放送を母親と一緒に見ていたことを明かしています!
仲が良いのがわかりますね。
自分が生まれた時の話をしながら見ていたそうですよ。
宮沢氷魚は3兄弟!弟妹がいる
宮沢氷魚さんは長男で、
- 宮沢海実(かいみ)さん(2歳下の弟)
- 宮沢琉歌(るか)さん(4歳下の妹)
の3人兄弟です。
ちなみに、お2人とも少し特殊な名前ですが、、
どちらも父親の宮沢和史さんが名付けたのだとか。
名前の由来はそれぞれ、釣り好き、沖縄好きからきているようです!
宮沢氷魚さんの弟【宮沢海実】
弟の宮沢海実さんは、2歳年下の弟。
海実さんとはとても仲が良いそうです!
海実さんも野球が得意だったそうで、幼少期から一緒に野球をしていたのかもしれませんね!
兄弟で、大谷選手の試合を観戦しに弾丸でアメリカに行ったこともあったそう。
弾丸でアメリカにも観に行きました。大谷選手がホームラン打った日に弟と行ったりもしましたね。
その日会場のセキュリティがすごく厳しくて、試合開始の1時間くらい前に入場口にいたのに大行列で入れなくて。
トラウトっていう選手がホームラン打ったのを見れなかったんですよ。
弟がほんと残念がっていましたね。
ただ、その日大谷選手は3本打ったそうで、それは入場後に見れたということで満足の弾丸旅行だったようです。笑
弟も芸能活動の経験あり?
ちなみに、最初は兄弟で芸能活動をしていたんだとか・・・。
ですが、弟の海実さんはすでに引退しています!
顔がわかる画像を調査してみたましたが、残念ながらありませんでした。。
宮沢氷魚さんの妹【宮沢琉歌】
妹の宮沢琉歌さんは、4歳年下の妹です!
一部では『宝塚に入ったのでは?』と、噂になっていましたがその噂はデマだということがわかりました!
芸能活動も行っていませんので、どんな方なのか気になりますよ。
宮沢氷魚さんを見る限りでは、素敵な女性であることは間違いなさそうですけどね。
今後、芸能活動をされる可能性も十分にありますよね!
ちなみに宮沢氷魚さん、自分が長男でずっと弟や妹を見守ってきたそう。
出演した「ボクらの時代」では、好きな女性のタイプとして「甘えたい」と答えていました!
「僕は3人兄弟の長男なんで甘えたいんですよ。今甘えたい願望が強くて…。年上とかじゃなくていいんですけど、全部受け入れてくれる人」
https://coconutsjapan.com/
まとめ
いかがでしたでしょうか?
父親は宮沢和史さんで、母親は光岡ディオンさんです!
それを隠して芸能事務所に所属しているので、宮沢氷魚さんは自分の力で芸能界に入ったのですね。
弟や妹の情報がまだまだ少なかったので、今後情報が出てくるかもしれません。
宮沢氷魚さんも、俳優としてもドラマや映画出演ととても忙しそうですが、引き続き頑張って欲しいと思います。
では、最後までご覧いただきありがとうございました!