千葉真一さんといえば、日本を代表するアクションスターとして、海外にもファンを獲得した名俳優。
そんな千葉さんには、2回の婚姻歴とお子さんが3人いらっしゃいます。
最近は、息子の新田真剣佑さん、眞栄田郷敦さんが映画やドラマなどで活躍していますよね!
今回は、千葉さんの家系図を元に家族構成を見ていきたいと思います。
【千葉真一の家系図】結婚歴2回で前妻は野際陽子
では、早速千葉真一さんの家系図を見ていきましょう。
- 1人目の妻は野際陽子
- 野際陽子との間には娘1人
- 2人目の妻は元舞妓の玉美夫人
- 玉美夫人との間に真剣佑と郷敦
新田真剣佑さんと眞栄田郷敦さんは「異母兄弟?」とも噂されていましたが、これはデマ。
お2人の母親は元舞妓の玉美夫人で、千葉さんとは2015年に離婚しています。
対して彼らの異母兄弟に当たるのが、姉の真瀬樹里さん(2021年8月46歳)です。
前妻の野際陽子さんとのお子さんです。
ちょっと経歴も複雑なため、時系列にもしてみますね。
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1972年野際陽子と結婚
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1975年長女の真瀬樹里誕生
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1994年野際陽子と離婚
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1996年元舞妓の玉美夫人と結婚&長男の新田真剣佑誕生
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2000年次男の眞栄田郷敦誕生
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2015年玉美夫人と離婚
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2017年野際陽子死去
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2021年千葉真一死去
詳細も見ていきましょう。
1972年:千葉真一と野際陽子が結婚
野際陽子さんは立教大学を卒業後、アナウンサーとして活躍していましたが、1962年に退職し女優に転身。
「キイハンター」での千葉真一さんとの共演がきっかけで結婚に至っています。
結婚式は、2人きりでギリシャ・エーゲ海行きの船上結婚式を行ったそうですよ!
意外と肉食派なのは…
意外にも、千葉真一さんより野際陽子さんの方が積極的だったのだとか。
夜中の12時に「今どこにいるの?」「新宿だよ」「私、行く」って必ず来るんだよ。
で、朝まで酒飲んじゃう。
最近ちょっと俺に対する目線が違う、何だろう、気があんのかな、と思っていたら、ガンガン来たね。
気が付いたら手を握られていた。
「なんで握るんだよ」と言うと、「だってかっこいいもん」。この女とそんなことになっちゃヤベえと思っていたら、いつの間にかそんなことになっちゃって、「部屋に来ない?」って……それが陽子が最期まで住んでいた(東京・文京区の)“川口アパート”だった。
1975年:長女の真瀬樹里が誕生
1975年には長女・真瀬樹里さんが誕生。
彼女は幼少期から、父の千葉さんや母の野際さんに連れられて撮影現場に同行し、芝居をいろいろ目にしてきたそう。
そのため、物心がついた時から将来の夢はずっと役者でした。
ところが、子役をやることに猛反対だった母の野際さん。
子供の将来を思って、学業を優先させたいという親心だったのかもしれませんね。
「仕事にするのは高校を卒業してから」と言われた真瀬さんは、大学在学中に役者デビューを果たします。
現在も役者として活動していますよ。
【主な出演歴】
- 1994年に映画「シュート!」でデビュー
- 同年、映画「武闘派仁義 完結篇」に出演
- 2004年に「キル・ビル VOL.1」に出演し、殺陣指導も行う
- 2017年に「トットちゃん!」で母の野際陽子役として出演
1994年:千葉真一と野際陽子が離婚
この頃になると、千葉さんはハリウッドでの仕事が増え、生活の拠点をアメリカに移したいと感じていたそう。
一方妻の野際さんは、日本で活躍中。
そこがすれ違いとなり、野際さんの方から
と告げたそうです。
千葉さんは離婚を渋っていたのですが、最終的に当時東映の宣伝マンの福永邦昭さんを頼って、離婚届を書いてもらったそうです。
「離婚届の証人欄に印鑑を押したうえで、芸能レポーターの鬼沢慶一さんと話し合い、ホテルでの離婚会見の予行演習をした」
離婚会見では、千葉さんがうなだれるように、
と、言葉を絞り出したそうです。
1996年:元舞妓の玉美夫人と結婚
野際さんと離婚してから2年後の1996年には、一般人の玉美さんと結婚されています。
実は玉美さんは結婚前は、京都のトップクラスの芸妓さんでした。
千葉真一さんは撮影で京都に行くこともあり、仕事の合間や接待で芸妓遊びをしていて出会ったのだと言われています。
芸妓さんを数人呼ぶと1時間10万円以上はかかるらしいので、さすが芸能人の遊びという感じですね。
そんな千葉真一さんに見初められた玉美さんは、相当ステキなんでしょう。
お2人が結婚した時、
- 千葉真一さん:57歳
- 玉美さん:29歳
という28歳の年の差婚で、当時かなり話題になりました。
結婚後、ずっと披露宴をしていなかったことから、2010年に14年越しの結婚披露宴を開いています。
1996年:長男の新田真剣佑が誕生
入籍した同年、長男の新田真剣佑さんが誕生しています。
すでに海外に拠点を移していたため、生まれはサンタモニカ。
「真剣佑」という名前は、父の千葉真一さんが
という思いをこめて命名したのだとか。
幼少期から、多くの習い事をしており、特技がたくさんあります。
水泳・乗馬・殺陣・空手・レスリング・体操・水球・スキー・ピアノ・フルート・アルトサックス
空手についてはLA空手大会で優勝する実力を持っていたそうですよ!
学業を優先し高校を卒業するまではハリウッドで暮らしていた真剣佑さん。
2014年に芸能活動をスタートし、2017年の映画「ちはやふる」で第40回日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞しました。
その後も順調に役者としての道を進み、2021年には海外でに活動に力を入れるため、所属事務所のトップコートを円満退社しています。
2000年:次男の眞栄田郷敦が誕生
「郷敦」という珍しい名前も、父の千葉真一さんが命名しました。
海外で千葉さんが脚本書く時に使ってたペンネームが、「GORDON」だったそうです。
この名前について郷敦さんは以下のように語っていました。
「すぐ覚えてもらえるんで気に入ってるんですけど、(名字の)眞栄田がすごい軽いっていうか、インパクトが薄いんで。上の名前、『まえだ』っていうのがちょっと恥ずかしい」
郷敦さんも現在は役者として活動していますが、最初は音楽の道へ進予定だったようです。
吹奏楽部に所属し、高校3年生のときに吹奏楽部の部長を務めていた彼。
サックスが上手で藝大を受けたようですが、受かることができませんでした。
夢が絶たれたタイミングで、
俳優をやってみないか?
と声をかけられます。
当初は迷ったようですが、兄の真剣佑さんに後押しされた形で役者人生をスタートしました。
ちなみに、お2人が共演していないことから、仲が悪い?とも噂されているようですが、とても仲良し兄弟です。
詳細はこちらの記事をご覧ください。
2015年:千葉真一と玉美夫人が離婚
2010年には、千葉真一さんの50周年記念パーティと合わせて豪華な披露宴を開催したお2人。
そのわずか2年後、玉美さんが次男の眞栄田郷敦さんを連れて京都の実家に帰っています。
理由は度重なる借金問題などのトラブルだったようです。
千葉真一さんはハリウッド進出を目指し、1990年後半からロサンゼルスに拠点を移していました。
しかし、アメリカでは『キル・ビル』に出演した程度で、近年は借金問題などトラブル続いていたそう。
そんな千葉真一さんに対し、妻の玉美さんは署名ずみの離婚届を千葉真一さんに渡したのだとか。
日本に帰国してからは、京都市内にあるパチンコ店であくせく働く玉美さんの様子が目撃されています。
苦しい家計を助けるため、時給1,000円で1日8時間ほど働き、子供の生活費を稼いでいたそうですよ。
2017年:野際陽子がガンのため死去
2017年6月13日、野際陽子さんは81歳で肺腺がんのため亡くなっています。
2016年秋ドラマ「やすらぎの郷」の撮影に参加していた際に肺腺がんが再発。
2017年5月7日まで撮影を続行し、翌日に肺炎を併発して入院していました。
千葉さんは、娘の真瀬樹里さんから野際さんの死を聞いた際、ショックのあまり言葉を失ったそう。
と語ったそうです。
2021年:千葉真一がコロナのため死去
千葉真一さんは、2021年8月19日午後5時26分、千葉県・君津市の病院で亡くなりました。
7月末にコロナに感染し、自宅療養していたそうですが、症状が悪化。
最近になって入院していたそうです。
2021年7月23日に公開された、週間女性PRIMEでは、千葉さんがインタビューに答える姿も。
つい最近の記事ですし、自身の経験を若い世代に伝えていきたい、そのための秘策を練っているとまで話していました。
「若い世代に、僕が学んできたこと、経験してきたことを伝えたい。そのために……秘策を練っていますよ」
これはあまりにも突然すぎる別れですね。
真剣佑さんは、仕事で海外に滞在していたため、千葉さんの最後を看取ることはできませんでした。
また郷敦さんも、コロナ感染防止の観点から病床には近づけなかったようで、
とコメントしています。
まとめ
今回は、千葉真一さんの家系図、そして結婚歴など彼の半生を見ていきました。
多少のトラブルはあったかもしれませんが、常に挑戦し続ける姿はとてもかっこいいですよね。
きっと息子たちにもこの精神は引き継がれていると思います。
今後の子供達の活躍が楽しみですね。