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西郷輝彦の結婚歴|嫁は明子で元妻は辺見マリ!離婚理由は家出や両親との確執!馴れ初めは?

西郷輝彦の結婚歴|嫁は明子で元妻は辺見マリ!離婚理由は家出や両親との確執!馴れ初めは?

17歳で「君だけを」で歌手デビューし、「十七歳のこの胸に」、「星娘」、「星のフラメンコ」など次々にヒットを飛ばした西郷輝彦さん。

「歌謡界の御三家」と呼ばれるなど、一世を風靡した彼ですが、2回の結婚歴があります。

今回はそんな西郷さんの奥様との馴れ初めや離婚など、婚姻歴についてまとめたいと思います。

西郷輝彦に2回の結婚歴!

西郷輝彦に2回の結婚歴!https://www.asagei.com/excerpt/87949

西郷さんの婚姻歴はこのような感じです。

  • 1972年:歌手の辺見マリと結婚
  • 1981年:辺見マリと離婚
  • 1990年:一般女性の明子さんと再婚

辺見マリさんとは電撃婚でしたが、価値観の違いやご両親からの反対などにより離婚に至った様子。

現妻の明子さんは、西郷さんがガンとなり、二人三脚で闘っていた様子がYoutubeでも見てとれます。

では、具体的にお2人との馴れ初めなどについて見ていきたいと思います。

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西郷輝彦の元妻(嫁)は歌手の辺見マリ!

西郷輝彦 嫁 妻 辺見マリhttps://koimousagi.com/42970.html

お2人は、1970年に週刊誌でスクープされ、1972年に結婚に至っています。

そんな彼らの馴れ初めを見ていきましょう。

きっかけは平尾昌晃の紹介

西郷輝彦 辺見マリ 馴れ初め 元妻

最初にスクープが出たのは、1970年12月13日号の「週刊明星」。

この時すでに家族ぐるみの付き合いをして1年が過ぎていたそうです。

お2人が初めて出会ったのは、1969年のクリスマス・イブ。

作曲家で歌手の平尾昌晃さんの紹介だったそう。

当時の辺見マリさんは、1969年11月、19歳の時に「ダニエル・モナムール」でデビュー。

翌1970年に、「経験」が大ヒットし、一躍有名になっていた時でした。

出会った日はクリスマス・イブだったため、西郷さんから

次のクリスマスイブに会えたらいいね

と、言われます。

その一夜にして意気投合したものの、その後音沙汰はなし。

携帯電話もない時代で、待つことしかできなかったという辺見マリさんは、待つ間に恋を募らせていたそうです。

そんな中、辺見マリさんは、コシノジュンコさんのパーティーに作詞家の安井かずみさんと共に誘わた際、西郷さんも来ることを聞きつけます。

そして、あの時の約束について覚えているのか、不安と期待に胸を膨らませながらパーティーに出席したのですが、西郷さんはおらず。

実は、西郷さんは風邪をひいてし欠席だったそうなんです!

そこで、辺見マリさんは、周りの人に西郷さんの電話番号を教えてもらい、その場で電話をかける強硬手段に!

そこで、

パーティーにきてください

とお願いしたところも、西郷さんも

今から行くから

と回答し、なんとパーティー会場に現れたそうなんです。

そこで、お互いの家の電話番号を交換。

その後、正式に交際することになったそうです。

辺見マリさんの行動力、凄すぎますね。。

結婚を見据えた真剣交際

その後は、周囲に隠すこともなく、真剣交際を続けます。

1971年2月14日号の「週刊明星」では、交際の進展ぶりについて

燃えてます

と答えていたようです。

辺見マリさん自身、

30歳くらいまでには結婚して子供も欲しいな

という漠然とした憧れもあったそうですが、西郷さんを好きになって自然と結婚を意識していたようです。

また、当時の辺見マリさんは、芸能界が自分の思っていた世界と違っていたことがショックで、

結婚して芸能界を引退することになっても後悔はしない

と感じていたそうです。

周囲からは「結婚はまだ早いんじゃないか」とも言われたそうですが、2人の決意はとても固いものでした。

結婚を前提に、西郷さんが辺見マリさんの事務所へ挨拶へ行った際、

辺見マリさんは芸能界を辞めて家に入ること

を伝えたそうです。

人気絶頂の西郷さんでしたし、彼に自分の分まで頑張って欲しい、と夢を託したそうなんです。




 

ひっそりと引退し軽井沢で挙式

西郷輝彦 辺見マリ 嫁 妻https://koimousagi.com/42971.html

辺見マリさんの最後の仕事は1971年12月31日。

前年は紅白に出場したそうですが、引退が決まっている彼女を事務所が推すことはありません。

年末に宝塚劇場でクレージーキャッツさんのショーへの出演が最後の仕事になりました。

その後、マネージャーに見送られ、ひっそり芸能界を引退したのでした。

その後、東京駅の隣にあった国際ホテルに1泊して、翌日には新幹線で京都へ帰りました。引退を知っていたのは事務所関係者だけでしたから、見送りもマネジャーさんたったひとりだけ。ひっそりと誰にも言わない引退は自分で望んだことでした。

日刊ゲンダイより引用

その後、1972年2月11日に軽井沢の「聖パウロ教会」で結婚式を挙げます。

辺見マリ 西郷輝彦 結婚式https://www.karuizawa-wedding.com/church/paul/

出席者は、

  • 辺見マリさんのご両親
  • 西郷さんの友人1人
  • 女性週刊誌の記者1人

かなりアットホームで秘密裏に挙式されたお2人でしたが、西郷さんのご両親は結婚に反対だったため出席されなかったようです。

結婚式を終え、ほどなくすると長男が生まれ、お2人は東京の三鷹に。

西郷さんはとても仕事も忙しく、なかなか新婚生活をゆっくり過ごす時間は取れませんでした。

そんな中で、たった一度だけ完璧に辺見マリさんの夢がかなった日がありました。

旦那さまが仕事を終えて夕日の中、家に帰ってきました。
「おフロにします? それともごはん?」。
話しかける私のそばには子供が笑っている――。本当に幸せな時間でした。

西郷輝彦が”蒸発”するように

2人の子宝にも恵まれ、仲睦まじい結婚生活を送っているかと思いきや、次第のその生活にも暗雲が立ち込めます。

いつからか、西郷さんは家を空けることが多くなり、次第に帰ってこなくなったそうです。

何の連絡もなく家に帰ってこないため、最初はどこにいるかも分からず戸惑った辺見マリさん。

なんとか人づてに

「お願いだから帰ってきてください」

と連絡を取ってもらい、夫婦で話し合うことになりました。

結局その原因は、価値観の違い。

辺見マリさんは、どんなに忙しくても、数カ月に一度くらいは夫婦2人だけの時間を持ちたかったそうですが、西郷さんにとってそういったことが重荷になっていたようです。

その時は、「お互い考えましょう」という結論になったようですが、、

2回目の蒸発が発生します。

価値観の違いなど、2人が仲違いするにはさまざまな理由があったと言いますが、辺見マリさんにとって一番の原因は、西郷さんのご両親との関係だったようです。

「歌手の辺見マリ」という派手なイメージを持たれていたようで、お墓参りを許してもらえないなど、嫁として認められていない雰囲気をずっと感じていたそうです。

上手くいかない夫婦関係、そして義両親との関係に、一人で家に閉じこもり悩む毎日。

そんなある日、息子さんが「お母さん大丈夫だよ、僕がついてるから」と言われ、

「人に頼ってるばっかりじゃいけない、子供たちのためにも私がしっかりしなきゃ」

仕事を始めようとしたそうですが、これがまた夫婦関係を難しくしてしまいます。

その後、3回目の蒸発。

西郷さんからは

「いいから俺の荷物は全部送ってくれ」

と、話し合う余地もないほど殺伐とし、最後は弁護士を立てることしかできなかったそうです。

その後、1981年に離婚が成立しました。

2人の両親の関係

前述の通り、あまりいい関係ではなかったご両親との関係。

辺見マリさんと西郷さんのご両親もそうですが、西郷さんと辺見マリさんのご両親との関係もあまりいいものではなかったようです。

西郷さんにとっての離婚原因もお相手のご両親の関係だったのかもしれません。

そもそも、西郷さんが独身の頃は、鹿児島から両親と姉を呼び寄せ、東京の三鷹の自宅で一緒に暮らしていました。

結婚後は、辺見マリさんの両親も三鷹の自宅に呼び寄せるて離れを作り、そこでマリさんの両親も暮らすことになったそうです。

しかし、西郷さんのご両親は結婚に反対だったため、辺見マリさんと結婚したことを知ると三鷹の家を出て行ってしまいます。

そんな中でも西郷さんは、「時間が解決してくれるだろう」と楽観視していたそうですが、、

ぼくの両親も離れて暮らしているし、いい関係を保つためにも、離れて暮らしたほうがいいのではないですか

と、辺見マリさんのご両親に切り出したこともあったそう。

それを飲む代わりに、辺見マリさんの仕事復帰を望んだそうなんです!

しかし、当時は”奥さんが仕事をする”ことはあまりなく、西郷さんも許すことができませんでした。

話し合いをしたくても、辺見マリさんのご両親が一緒で一対一で話し合うこともできなかったそう。

そういった状況に耐えられず、家を出て行ったそうです。

夫婦というのは難しいものですね。。

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西郷輝彦の現嫁(妻)は歌手の明子夫人!

西郷輝彦の現嫁(妻)は歌手の明子夫人!明子夫人と西郷輝彦

1981年の離婚から10年弱。

1990年に一般女性の今川明子夫人とご結婚されます。

明子さんは、有名なウグイス嬢だったそうです。

西郷輝彦 嫁 明子右が明子夫人

ちなみに、明子さんと結婚される前の1982年(辺見マリさんと離婚して1年後)に元モデルの原田恵美さんとのスクープも出ています。

原田恵美 彼女 西郷輝彦

交際会見までしており、この時は「将来的に結婚は考えている」とのことでしたが、結局結婚には至らなかった様ですね。

彼女もそこまではまだ考えていないでしょう。
僕も両親に紹介したけど、結婚となると、まだ踏むべき段階があるし、今はっきりと言えるのは、僕にとって一番大切な人が彼女だということです。
もちろん、先行きそうなればいいとは思ってますが…(西郷さんコメント)

実家に押しかけてプロポーズ

奥さんの明子さんは、ウグイス嬢として選挙を手伝っていたそう。

そこに仕事で応援に来た西郷輝彦さんと出会い、西郷輝彦さんが一目惚れ。

そんな時に明子さんから

静岡に帰って見合いをする

と告げられ、最初は引き止めなかったようですが、、

ここはもしかしたら正念場かな

と思い始めた西郷さんは、明子さんの実家の静岡の熱海まで車を飛ばして明子さんを追いかけプロポーズをしたのだとか!

なんともロマンチックな出会いですよね!

辺見マリさんとの結婚生活ではネックになっていた両親との関係ですが、明子さんのご両親は西郷さんを信頼し、また西郷さんのご両親も明子さんをとても気に入ったそう。

結婚まで驚くほどスムーズに行ったそうです。

その後、1990年に結婚。

娘3人が誕生しています。

西郷輝彦 明子 娘 
  • 1991年:長女の貴恵さん
  • 1993年:二女の朝佑衣さん
  • 1996年:三女の雅梨乃さん

闘病生活も夫婦二人三脚で

その後のお2人は仲睦まじい生活を送りました。

しかし、2011年に西郷さんに前立腺がんが見つかります。

その際、前立腺の全摘出手術を受け、予後も良好だったため、仕事を続けてきたそうですが、2017年秋に再発。

2017年12月のディナーショーは予定通り行うものの、2018年3月に予定されていた舞台は降板し、治療を最優先して、自宅療養を開始しました。

2021年4月にはコロナ禍の中、アメリカシドニーに渡、最先端治療を受けることに。

すでにステージ4の状況でした。

西郷輝彦

そんな彼を近くで支え続けたのは妻の明子さんでした。

西郷輝彦 妻 嫁 明子

しかし、その後2022年2月20日、75歳で西郷さんの生涯は閉じることになりました。




まとめ

今回は、西郷輝彦さんに結婚歴についてまとめました。

辺見マリさんとは離婚から25年後の2006年に「平凡アワースペシャルコンサート」で共演しています。

西郷さんは、

あの頃は若すぎました。今なら離婚はなかったかもしれません

と語られたそうです。

時間の経過によって、見えてくるものもあるのでしょうね。

夫婦関係とは難しいものですね。