東京オリンピック代表の内定を決めた、男子陸上の短距離専門選手の多田修平選手。
2021年6月25日の日本陸上競技選手権大会の100メートル走では、山縣選手、サニブラウン選手といった強敵相手に先着し優勝!
現在25歳と、遅咲きと言われた彼ですが、学生時代はどのような成績を残していたのでしょうか。
今回は多田選手の学生時代を振り返ってみたいと思います。
多田修平の学歴まとめ!
多田修平選手の学歴は以下のようになっています。
- 小学校:東大阪市立石切小学校
- 中学校:東大阪市立石切中学校
- 高校:大阪桐蔭高等学校
- 大学:関西学院大学法学部
更に詳しく見ていきましょう!
多田修平は石切小学校出身|幼少期から走ることが好き
多田選手が通われた小学校は東大阪市立石切小学校!
以前、多田選手は石切小学校の横断幕をストーリーにアップ。
ちょっとわかりづらいので拡大してみると…。
多田修平選手の下に「東大阪市立石切小学校卒業生」とあります。
これらのことから、同校出身で間違いないと思います。
気になる彼の小学生時代ですが、幼少期にまつわるエピソードはそこまでありません。
しかし、小学生のころから走ることが大好きな少年でした。
好きな遊びは鬼ごっこで、運動会では自らリレーのメンバーに志願したそうです。
しかし、当時はめちゃくちゃ早かったわけではなく、校内では2、3番目というポジションだったそうですよ。
多田修平は東大阪市立石切中学校出身|陸上開始も成績は出ず
多田修平選手が通われた中学校は、東大阪市立石切中学校!
地元の市立の中学校に通われていました。
1953年に開設された本校、他には歌手の芹洋子さんもこの学校出身のようです。
陸上を始めたきっかけは楽しかったから
中学から陸上を始めたと言う多田選手。
迷わず短距離を選んだそうです。
理由は、短い時間で勝負が決まるところ。
きっかけは、
中学から陸上を始めたきっかけは、走ることが楽しくて好きやったから。
久しくこの気持ちを忘れておった💦
思いがけない壁が立ち塞がることがあるけれど、初心に戻って陸上を楽しむことが大切ではないでしょうか?😆笑
(急に語り出すやつ。笑)— 多田 修平(Shuhei Tada) (@shu_hei_0624) October 9, 2018
「陸上は個人競技。どれくらい練習をするかでタイムを縮めることができる。一方で、自分がサボると数字に出る。競技の成績が素直に数字に表れるところが好き」
https://mainichi.jp/univ/articles/20181121/org/00m/100/016000c
毎日朝練や筋トレを欠かさず、真剣に陸上に打ち込んでいた多田選手。
中学校時代の記録としては、
2011年の第65回大阪中学校総合体育大会陸上競技の男子決勝で100m11秒52を記録して5位に入賞しています。
大阪の全ての中学生の中で、5番目に速かったということになります。
毎日の朝練や筋トレにもめげず、真剣に陸上に打ち込んだが、中学時代は一度も全国の舞台を踏んでいない。
引用:アスリートの原点
それでも、全国には行けていないということで、今の輝かしき実績を思えば確かに目立つ過去ではないのかもしれません。
まだまだ走ることをやめない多田選手、当然高校でも陸上を続けますよ。
多田修平は大阪桐蔭高校出身|全国行くも悔しい結果に
多田修平選手が通われた高校は、大阪桐蔭高校!
高校の知名度はかなり高いはず。
押しも押されぬ高校野球の名門校です!
吹奏楽部も高い評価を受けていますよね。
大阪桐蔭はⅠ類、Ⅱ類、Ⅲ類というコースに分かれており、基本的に運動部(と吹奏楽部)に入り活躍するのはⅢ類というコースの生徒達。
体育、芸術面において専門性の高い指導を行い、全国の頂点を目指せるのが特徴です。
野球以外のスポーツでも、勿論陸上部でも、素晴らしい指導が受けられたのだと思いますよ。
本校の陸上部は、他にも中・長距離を専門にする中村祐紀・友哉兄弟を輩出しています。
陸上に対して本気になった高校時代
私立の高校に進学し、多田修平選手はこの頃から「陸上に対して本気になった」そう。
きっかけは、陸上部の顧問の先生から、練習日誌をつけるよう勧められたこと。
大きな目標をまず決めて、それを踏まえて1カ月、今日と小さな目標を立てていくんだとか。
そしてその大きな目標は、インターハイ優勝。
そのためには、何をすべきか自分自身で考える指導を受けたそうです。
そして、高校3年生の時に、中学生の頃は踏めなかった全国の舞台、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)への出場を果たしました!
ですが……
しかし、3年次に全国高等学校総合体育大会、通称インターハイでは全国出場こそ果たしたものの、100メートル決勝の結果は10秒78で6位。目標としていた優勝どころか、表彰台にも手が届かなかった。
引用:アスリートの原点
その高い目標と比較すれば、やはり少々物足りない結果だったのでしょう。
高校時代の100m自己ベストは、10秒50を記録。
10秒50でも凄すぎるのですが、他の選手の中では目立つ存在ではなかったようです。
それでも走ることを辞めなかった中学、高校時代の経験は、大学生の頃に花開くことになります。
多田修平は関西学院大学出身|
多田選手が通われた大学は、関西学院大学!
関西の有名私立大学、いわゆる「関関同立」の一つです。
通われた学部は法学部。
法学部って聞くと勉強が難しそうなイメージがありますが……
高3の5月くらいには推薦で関学に行くことを決めたそうです。
ただ、成績を残す前でしたので、スポーツ推薦でもなく一般の推薦枠でした。
一般の推薦枠で入れるのだから、勉強もかなりできる方ですよね!
遂に才能開花!大学一年でインカレ制覇!!
多田修平選手、実は元々関西学院大学への進学を志されていたのだと言います。
その理由というのが少し独特でいらっしゃるんですよね。
実はインターハイの前から、進学するなら関学がいい!と考えていました。
というのも、陸上競技の強豪校は関東地方のほうが多く、「地元の関西から、関東に挑みたい」という対抗心があったんです。引用:関西学院後援会
地元愛と関東への対抗心!
アスリートらしいハングリー精神の持ち主でもあったんですね。
関西の中でも関西学院大学を選ばれたのは、
「関西で一番強い陸上部は、関学しか考えられなかったから」。
関学の強く素晴らしい先輩たちと共に、打倒関東を志し、多田選手の大学陸上生活がスタートしました!
大学の陸上部は、学生主体で自分たちで練習メニューを考えながら大会に臨むやり方。
それが自分に合っていたそうで、一年時のインカレで優勝!!
打倒関東、早くも成し遂げちゃうんです。
ちなみにその時の100メートルの記録は10秒43。
前年のインターハイが10秒78ですから凄まじい伸びのように思えます。
大学時代の多田選手は、その後も凄まじい成績を残し続けますよ!
2016年のインカレでは、100メートルで大会新記録の10秒33をたたき出して連覇!
2017年には追い風参考記録ながら、日本国内の公式戦では日本人選手初となる9秒台に到達!!
この辺りから、多田修平選手の名は陸上界に轟くことになりました!
世界陸上、ユニバーシアード、アジア大会など世界を舞台に活躍した大学時代の多田選手。
純粋な走力で海外の選手に日本人選手が勝つのはあまりに至難ですが、リレーでは優勝や入賞を経験されていますよ。
飛躍のカギは「OSAKA夢プログラム」!
「学生主体」の関学の風土がよく合い、大学で凄まじい飛躍を遂げた多田修平選手。
更に「OSAKA夢プログラム」という陸上競技選手育成プログラムへの参加が、多田選手の人生をも変えたと言うんです。
大学から「行っておいで」と後押ししていただき、参加できたのですが、これによって僕の陸上人生は大きく変わりました。
これは、東京オリンピックで活躍する選手を大阪から輩出しようと大阪陸上競技協会が主催しているもので、アメリカやオーストラリアで合わせて1ヵ月間の強化合宿を行いました。引用:関西学院後援会
このプログラムで2016年リオ五輪金メダリストのドノバン・パウエル選手から指導を受け、共に走った多田選手。
こういった経験を経て、「自分の目標は世界なんだ」と強く意識されたそうですよ!
ドノバン氏は20歳以上も年上なのに、全く歯が立たない。初めて外国人選手の速さを体感し、ものすごい衝撃を受けました。
引用:関西学院後援会
世界陸上ではウサイン・ボルト選手とも競走。
自分を上回る名選手との数々の邂逅を経て、多田選手はますます強くなっていったのですね。
プライベートや学業もバッチリ!
プライベートの写真も、友人と仲良しな様子が伝わりますね!
こちらは、陸上部の沖縄合宿の写真。
とても仲良しそうです。
多田選手は、陸上だけでなく、学業も両立されていました。
練習で疲れて、家ではご飯を食べて寝る生活だったそう。
そのため、授業は集中し、試験前には図書館や空き教室で練習の合間に5、6時間勉強していたそうですよ。
ゼミは政治学のゼミに入り、発表をする経験を通じて人前で堂々としゃべれるようになったそう。
と語っていました。
まとめ
今回は多田修平選手の学歴についてご紹介しました。
中学、高校での経験を大学の環境で花咲かせ、一気にトップアスリートの仲間入りを果たした多田選手。
今年の東京五輪は、多田選手にとって初のオリンピックとなります!
緊張もひとしおだと思いますが、夢の舞台で最高の走りを見せてほしいです!