東京オリンピックの男子バレーボール日本代表に内定した石川祐希選手。
イタリアで活躍し、全日本代表の主将としてチームを支えます。
2019年のワールドカップで「セカンドベストアウトサイドスパイカー」に輝くなど、実績十分の選手。
また、2017年グラチャンバレーのテーマ曲としてリリースされた人気ユニット、ポルノグラフィティの「キング&クイーン」のミュージックビデオにも出演。
正に日本バレーボール界の顔的な選手なのです!
今回は、石川選手の学歴をご紹介します。
彼は学生時代から華々しい成績を残していらっしゃいますよ!
石川祐希の学歴まとめ
石川選手の学歴は以下のようになっています。
- 小学校:岡崎市立矢作南小学校
- 中学校:岡崎市立矢作中学校
- 高校:星城高等学校
- 大学:中央大学
以下では、より詳しく紹介していきますよ。
石川祐希は岡崎市立矢作南小学校出身!
石川選手が通われた小学校は、「岡崎市立矢作南小学校」。
1872年、明治5年に設立されたという歴史ある小学校です。
こちらの小学校には石川選手の妹さんである石川真祐さんも通われていました。
4つ違いなので一緒に通われていた時期もあったのでしょう。
姉の影響で小学4年生からバレーを始める
石川選手がバレーボールを始めたのは小学4年生の頃だったようです。
最初は「バレーやる?」と聞いても「やらない」と言っていたそう。
始めたきっかけは姉の影響でした。
転機は翌年、小学4年生の時に訪れる。1学年上の姉が所属するバレーボール部の練習を見学。これをきっかけに、バレーボールを始めた。
引用:アスリートの原点
それまではサッカーに興味を持ち、小学三年生の時には野球にも取り組んだそうです。
バレーを始めて4ヶ月後に全国大会でベンチ入り。
当時の先生は彼のことを「センスがある。絶対いい」と言っていたそうです。
小学校のバレーボール部が強豪だったということもあり、小学生時代には全国大会ベスト8の実績も持っていました。
石川祐希は岡崎市立矢作中学校
そして、石川選手が通われた中学校は「岡崎市立矢作中学校」。
こちらは1892年、明治25年に設立されています。
こちらの学校のOBには、シンガーソングライター「あみん」のメンバーであった岡村孝子さんがいらっしゃいますよ。
これら二つの学校はいずれも愛知県岡崎市の公立校。
中学生までの石川祐樹選手は、地元の公立校に通われていたのですね。
中学時代は身長に伸び悩んだことも
中学校入学当時の身長は160㎝程度だったという石川選手。
当初は体格の面で苦労した。小学6年生の時点で157センチだった身長は、中学入学のタイミングでおよそ160センチ。上背のある対戦相手とのレベルの差は顕著で、思うようにスパイクが決められない日々が続いた。
引用:アスリートの原点
身長で思うようにいかなかった彼は、
- スパイクのフォームの修正
- コースを打ち分けられる技術の習得
- レシーブ能力の向上
など、練習を積み重ねていきました。
そこからグングン身長を伸ばし、中学2年生の時には170cm、3年生の時には180㎝に!
魔法でも使ったかのような伸び率ですね。
次第にチームのエースに成長!
中学生時代に愛知県選抜のメンバーに選ばれた石川選手。
全国都道府県対抗中学バレーボール大会で躍動しチームを準優勝に導き、個人は優秀選手に選ばれました。
中学生時代から名をあげていたのですね。
なんでもやってしまう性格
石川選手は、3兄弟の真ん中。
当時、お母さんも仕事をしており、3兄弟とも、自然と自分のことは自分でやっていたそうです。
先ほど自ら課題を出して練習をしていったように、スポーツでも私生活でもしっかりとした石川選手。
ただ唯一弱音を吐いた時があったんだとか。
それは、中3の全国大会の後のこと。
腹筋を痛めたまま参加した全日本中学選抜の合宿がとても大変だったのでしょうか。
合宿から帰ってきた時だけは弱音を吐いたことがあったそうです。
ただ、本当にその時だけで、いつもは自分で解決していたそうですよ。
石川祐希は星城高校出身!
石川選手が通われた高校は「星城高校」!
中高一貫教育の私立高校ですが、どちらかと言えば生徒が少ない中学校に比べて高校の方は愛知県屈指のマンモス校です。
1963年に設立された学校で、運動部が盛んな高校。
男子バレーボール部においても強豪校として知られていますよ!
現在海外で活動しているバレーボール選手、川口太一さんはこの学校で石川選手と同期。
高校ナンバーワンリベロとして、共にバレーボール部で活躍しましたよ。
自主性を重んじる校風
星城高校は、自主性を重んじる校風。
髪型も自由、Tシャツもいろんな色を着ていたそう。
周囲の高校からはとても賑やかな楽しい高校だと思われていたそうですよ。
この雰囲気は、バレー部も一緒で、練習メニューの大筋は監督が考えるものの、一方的に押し付けることはしないそう。
監督が「きょうはどうする?」と尋ね、選手が必要だと感じる練習をあげれば取り入れる。自主性を重んじるのが特徴で、裏を返せばそれだけ選手に責任が与えられる環境だった。
https://4years.asahi.com/article/13209259
ボール練習へ入る前に必ずするという30分間走。
決まっているのは「30分」という時間だけで、距離や速度は選手それぞれが自分で考えるんだとか。
そのため、サボろうと思えばいくらでもサボれたそう。
甘い選手もいる中、石川選手は一切の妥協でず、練習をしていたそうです。
ただ、高校1年生の時は、高校選手権大会でベスト16で敗退。
この時の心境を以下のように語っていました。
その事が糧になったのでしょうか。
高校2年生の時には、大躍進を見せます。
「奇跡の世代」が成し遂げた、史上初の二年連続三冠!
そもそも実力は高校一年生の頃から一際輝いていた石川選手。
バレーボール部の竹内裕幸監督は、基本的に夏ごろまで新入生を起用しない方針を持つが、石川には入学直後からレギュラー争いの環境を与えた。
引用:アスリートの原点
そして石川選手の世代は、高校バレー史上初の偉業を成し遂げるのです。
それが、二年連続の三冠!
高校2年生、3年生の時には全国高校総体、国民体育大会、全日本バレーボール高等学校選手権大会という3大タイトルを2年連続で制覇。
引用:アスリートの原点
この時点で石川選手は、何年かに一人のスーパーエースと呼ばれるほどのホープだったのですが、
この時の星城高校には、まるで漫画のような「奇跡の世代」という愛称をつけられるほど、スター高校生が多数揃っていたのです!
春高では、5年あるいは10年に、スーパーエース的選手が生まれてくるが、この星城のメンバーは、全員がそんな存在。
今回の星城はこのまま、実業団にいっても戦えるくらい。
引用:YAHOO!JAPAN
裏を返せば、そんなスター集団の中にいても一際目立つ石川選手の凄さを表すエピソードでもあります。
ちなみに、当時高校生としての最後の大会で優勝した際、石川選手はこんなことを語られています。
大学生になって、自分は体が弱いので体づくりをしっかりして今のパフォーマンスをさらにレベルアップさせていきたいと思っています。
引用:ミーシャのScrapbook
いやはや、他の高校生たちを圧倒したのちに「自分は体が弱い」という発言ですから、本当に高みを目指してやっておられたのですね。
また、この時キャプテンを務めていた石川選手、キャプテンとして得た経験が後々自分の力になるだろうとも語られていますよ。
今の経験を思えば、正にその通りですよね!
石川祐希は中央大学法学部政治学科出身!
石川祐樹選手が通われた大学は、「中央大学」!
学部は法学部の政治学科でした。
バレーボール部は全国の大学で最も全国タイトル獲得数が多い強豪バレーボール部なんですよ!
いよいよ日本代表として活躍!
2014年の大学入学直後から、当時の最年少メンバーとして日本代表入りを果たした石川祐樹選手。
東京オリンピックに向けた強化指定選手に選ばれ、2014年の間にイタリアのクラブパッラヴォーロ・モデナ(通称:モデナ)との契約が発表。
モデナはセリエAの中でも最強チームの一つです。
約3ヶ月の短期移籍で、スタメン出場できたのは15試合中の2試合のみでした。
ところが、この経験で、世界に追いつけると感じたそうです。
2016年にも別のイタリアのチームのトップバレー・ラティーナ(現在はチステルナに改名)に短期派遣されています。
世界の強豪と言われるチームからオファーをいただいたときは、単純に『やってみたいな』と。
せっかくそんな話があるなら断る理由はないし、とにかく最初は『海外のクラブってどんなところだろう』という興味、好奇心だけで選択して、『行きます』と即答しました引用:4years
初めて海外バレーへの誘いを受けた時、石川選手は海外のバレー事情などなにも知らなかったと言います。
しかし恐れなど全く見せず海外へ行くことを即決!
一流選手はメンタルからしてずば抜けてるものですね……
大学在学中の2015年に日本で行われたワールドカップでは、ドリームチームのメンバーに選ばれており、若くからその実力を世界に知らしめました!
高校時代は「奇跡の世代」のメンバーであった石川選手、大学時代には柳田選手ら有望な若手選手と共に「NEXT4」というユニットに名を連ねました。
4人は20年東京五輪で日本代表の主力となりうる有望株。監督みずからユニット結成を発表するのは異例だが、さわやかな若手の活躍が、バレーの人気回復にもつながるという狙いもあるようだ。
引用:日刊スポーツ
一時期低迷していた日本の男子バレーボール。
最近その人気が上がってきているのも、このNEXT4の、石川選手の活躍が大きな要因なのでしょう。
大学卒業は、Vリーグではなく、イタリアのセリエAでプレーしています。
大学3年生の時にはすでに海外を視野に入れていた石川選手でしたよ。
「できればプロとして海外でプレーする、というのを考えていないわけではないです。
企業へ行くのか、企業に所属しながら海外へ行くのか、それとも海外でプレーするのか。
これから進路を決めるので今は何とも言えないですが、もし日本の企業に所属することになったとしても海外にはいきたいと思います。」
まとめ
今回は、今の日本男子バレーボールを引っ張る石川祐樹選手の学歴について紹介しました。
高校、大学でタイトルを総なめした石川選手は世界の舞台でも躍動を続けています。
海外リーグで鍛えた実力、是非とも日本代表としても発揮してほしいですね!
今年のオリンピックでは、男子バレーボールに注目です!!
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