河野太郎さんは、1963年1月10日生まれの自由民主党に所属している行政改革担当大臣。
最近は、新型コロナウイルス感染症ワクチン接種推進大臣も兼任し、メディアへの露出も増えました。
そんな河野太郎さんが、総裁選への出馬を発表。
河野太郎さんは、どのような方なのでしょうか。
学生時代のエピソードを踏まえながら学歴についてご紹介していきたいと思います!
河野太郎の学歴まとめ!
河野太郎さんの学歴は、以下の通り。
- 幼稚園:YWCA幼稚園
- 小学校:平塚市立花水小学校
- 中学校:慶應義塾中等部
- 高校:慶應義塾高等部
- 大学:慶應義塾大学経済学部(中退)→ジョージタウン大学
河野太郎さんは、神奈川県平塚市出身。
中学で、私立の名門「慶應」に入学しています。
中学受験の慶應はとってもレベルが高いので、相当頭がよかったと思われます。
大学もエスカレーターで慶應に進ものの、目指す方向性に変化が見られたのか、わずか2ヶ月で中退。
慶應を中退するってなかなかな決断ですよね…。
何があったのでしょうか。
学生時代の彼について、振り返っていきましょう。
河野太郎の小学校|平塚市立花水小学校でボーイスカウト所属!
こちらは小学校時代の写真で、1番左が河野さん。
面影がありますよね!
河野太郎さんは、1975年、平塚市立花水小学校を卒業しています。
小学校のころはボーイスカウト平塚第5団に所属して、地域のボランティア活動や、キャンプ活動もしていました。
先ほどの写真ですが、河野太郎さん以外の5人は別の小学校(港小学校)と言っています。
もしかすると、ボーイスカウト平塚第5団の写真なのかもしれませんね!
河野さんの父・河野洋平邸、現在の河野太郎選挙事務所も花水小学校と港小学校の境にあります。
幼少期は、母親から
と言われ、育ってきました。
父親からは、悪口を言うと殴られらこともあったそうです。
ボーイスカウトでも同じように言われて育ってきたということで、現代のネットでの誹謗中傷についても言及されていましたよ。
河野太郎の中学校|私立の名門・慶應義塾中等部へ
河野太郎さんは慶應義塾中等部へ進学しました。
慶應義塾といえば大学でもかなり難関ですが、中学受験も相当難関ですね。。
小学生の時から抜群に頭がよかったのは言うまでもありません。
福沢諭吉と誕生日が一緒
慶應義塾の創設者である福沢諭吉と河野太郎さんは、誕生日が1月10日で一緒なのだとか。
そのため、「俺の誕生日だからみんな休みなんだぜ」を笑いを取っていたことも。
今では、Twitterでの発言が響いて、若者人気もある彼、
当時から、知識もユーモアもあるのが、さすがですよね。
そして、競走部(一般にいうところの陸上競技部)では主将を務めていました。
箱根駅伝の3〜4区の中継点が平塚にあり、子供の頃から毎年応援に行って「いつか自分も箱根駅伝を走る」と思って入部したそうです。
夢を追いかけて、しっかりと努力している姿ってカッコいいですよね!
主将で当時から、周りの人から人気があったことが伝わります。
河野太郎の高校|慶應義塾高等部へ内部進学!
1978年、中等部から慶應義高等部へ進学しました。
こちらのお写真は、高校時代のお写真。
眉毛が濃いのなんかは、今と一緒ですね笑
高校でも引き続き、箱根駅伝出場を狙っていて、競走部でも主将でした。
高等部へあがっても主将ということは、運動もかなり得意だったのでしょうね。
また、周りからの信頼もないとキャプテンは務められません。
当時から、そういったリーダーシップを発揮することが得意な人物だったのでしょうね。
ちなみに、国際陸連のセバスチャン・コー会長は、河野太郎さんの高校時代の憧れの選手でした。
こちらは、セバスチャン・コー会長とのツーショット写真。
念願叶って、とても嬉しそうに見えますね!
河野太郎の大学|慶應義塾大学からジョージタウン大学へ
慶應義塾大学を2ヶ月で退学
人生の最初の大きな節目は、ずっと箱根駅伝出場を目指して中学高校と陸上の長距離を走っていましたが、箱根駅伝の夢を諦めてアメリカへ留学しようと決断したことです。
高校を卒業後、内部進学で慶應義塾大学経済学部に進学した河野太郎さん。
しかし、2ヶ月で中退し、アメリカへの留学を決断!
父から「大学を卒業して、自分で稼いで自分で大学院に行けばいいだろう」と反対されましたが
と、慶應義塾大学をあっさりと辞めてしまいます。
この時から、すでに世界を見ていたのでしょう。
彼の行動力に感服しますね。
ジョージタウン大学へ入学
そして、1982年ワシントンにあるジョージタウン大学に入学します。
ちなみに、ジョージタウン大学は、慶應の協定校の一つです。
ジョージタウン大学では、比較政治学を専攻し、国務長官になった マデレーン・オルブライトさんという、女性教授のセミナーに入ります。
授業の内容は、十数人のアメリカ人といきなり議論をするという内容でした。
聞いているだけで精一杯の河野太郎さんに、
オルブライト先生から
「お前はやる気がないな。やる気がないんだったら、次からくるな」
と言われ、
次の時間から、とにかく話す!ということを意識しました。
議論している中に割って入るのは難しいので、授業が始まる時にしゃべることを意識されたそうです。
議論がすすむと、他のアメリカ人に話題を持っていかれてしまったようですが、それでも粘り強く勉学に励んだそうです。
積極的に自分の意見を人に伝えることは、とても難しいですし、勇気も要りますね。
しかも、母国語ではない英語で。
なかなか凡人にはできることではないのかもしれません。
また、河野さんは本当に積極的で、大学2年生だった1983年、アメリカ大統領選挙に立候補したアラン・クランストン上院議員の選対本部でボランティアを務めたり、
リチャード・シェルビー下院議員の事務所でインターンも経験しています。
この時から政治家への道を着実に歩まれていたのだと感じますね。
大学在学中に逮捕された過去も?
努力家の彼ですが、学生時代には驚くべき過去も。
実は、学生時代、ポーランドで逮捕された経験があります!
政治家がまさか前科持ちなんて…という感じですが、罪状は、「パスポート不携帯」。
1984年、留学していたポーランドは、共産党の独裁政権下で、かなりひどい状況にあったそう。
そんな中、反共産政権で民主化運動を率いていた自主管理労働組合「連帯」の議長、ワレサ氏の自宅で本人と面会をすることに。
しかし、ワレサ氏宅を出たところで警察に逮捕され、翌朝まで留置場に入れられたそうです。
留置所で震えていると、一緒に捕まった相棒に、「俺は最近まで六ヶ月牢屋に入っていたばかりで詳しいから、心配するな」と慰められ、余計にビビッたことを今でも良く覚えています。
結局、翌朝に釈放され、事なきを得ました(パスポート不携帯の罪でシベリア送りになったのではしゃれになりません)。https://www.taro.org/ml/hardcopy/20/page01.html
河野太郎の英語力がすごい!
さて、このような学歴を見ると、英語はかなり堪能なのではないかと思いますよね。
そうです、多少の日本語訛りもありますが、かなり流暢な英語を話すことができます。
そもそも、河野太郎さんは中学高校と英語で「A」しか取ったことがないそう。
日本のトップレベルである慶應義塾で「A」しか取ったことがないって、元から英語はかなり得意だったのでしょうね。
そして、アメリカの全寮制の高校に編入し、1年英語を勉強してから大学へ。
前述の通り、ジョージタウン大学では比較政治学を専攻しており、
在学中に交換留学生制度でポーランド中央計画統計大学への留学も経験しています。
ただ、今は日本にいて、英語を話す機会はあまりないでしょう。
それでも、このように流暢に話されているのを見ると、普段から積極的に英語を使う意識をされているのかもしれませんね。
最初は全く通じなかった!?
こんなにもスラスラと英語を話すことのできる河野さん。
しかし、アメリカ留学したての時はとても苦労されていたようです。
結局、初日はご飯が食べれなかったそう!
初日から英語がまったく通用しなくて「こんなはずじゃなかった」と感じたのだとか。
しかし、現在では、英語で公演ができるほどになっているわけですから、
彼の努力は相当なものだったでしょうね。
絶え間ない努力を続ける河野太郎さん、そのこと事態が彼にとって強い武器の1つになっているのでしょうね。
まとめ
今回は、河野太郎さんの学歴を見ていきました。
英語力はもちろんですが、何かに向かって一生懸命努力される姿が本当に尊敬できますよね。
彼の家系はとても素晴らしいですが、それに驕ることは一切ありませんでした。
自分で絶え間ない努力をされたからこそ、今の地位があると思います。
私がこんな華麗な一族の元に生まれたら…きっとダメな人間になっていそうです笑
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