一度は延期された2020東京オリンピック。
さて、東京五輪での活躍が期待されている選手の一人と言えば、男子マラソンの大迫傑選手。
3000メートル、5000メートルといった長距離走の日本人記録の持ち主であり、かつてはマラソンにおいても日本人最速記録を保持していた選手です。
30歳で迎える東京五輪、しかし昨年の3月、オリンピック内定を決めた東京マラソン2020では、正にその時に当時の日本記録を更新!
今回は、そんな大迫傑選手の学歴について紹介します。
大迫傑の学歴まとめ
大迫傑選手の学歴は、以下のようになっています。
- 小学校:町田市立金井小学校
- 中学校:町田市立金井中学校
- 高校:佐久長聖高校
- 大学:早稲田大学
大迫傑選手は東京都町田市の出身です。
そのため、通われていた小学校や中学校も町田市立の学校なんですね。
学生時代を振り返ると、学生記録の樹立や箱根駅伝での活躍など、正に長距離エリートとも言うべき経歴を辿ってきましたよ!
大迫傑は町田市金井小学校・中学校出身!
大迫傑選手が通われた小学校は、町田市立金井小学校でした。
また、中学はそのまま学区内の町田市立金井中学校でした。
金井中学は、1984年に設立された比較的歴史の浅い中学校で、大迫選手の五つ下の元女子長距離走選手、関根花観さんもこの学校出身です。
小学校時代は野球少年だった
小学生時代は、意外にも野球少年で、藤の台少年野球部に所属し、主にセカンドのポジションを守っていたそう。
水泳も習い、とにかく体を動かすことが大好きだったんだとか。
陸上を本格的に始めたのは中学になってからで、
きっかけは、小学生時代に地元の町田市こどもマラソン大会で優勝を果たしたこと。
先頭で駆け抜ける喜びに魅了されたそうですよ。
小学生の頃から先頭を走るなんてやはり才能があったようですね。
陸上部の無かった中学校からの挑戦
環境が整っていなければ、そこで諦めてしまうものですが、大迫傑選手は諦めませんでした。
他校の練習に参加したり、クラブチームに入るなど、陸上の道へのめり込んでいったそうです。
また、両親の協力もありました。
ご両親が学校に、試合へ出られるよう交渉をしてくれたり、クラブチームも一緒に探してくれて片道1時間くらいかかる練習場所まで送り迎えをしてくれたそうですよ。
両親の協力もあり、中学2年次、金井中に正式に陸上部が立ち上がった。舞台が整い、成果を出すまでにそれほどの時間は要さなかった。
引用:アスリートの原点
なんと中学2年生の時、大迫選手が自発的に陸上部立ち上げに動いたのです!
とてもストイックな彼は、練習を休むことなく、家族で出かけても練習時間に間に合うように一人で先に帰宅するほど、走ることに夢中だったんだとか。
中学3年生の時に出場した、全日本中学校陸上競技選手権大会の3000メートルで3位に入賞しています。
当時の東京都中学校最高記録の8分41秒59というタイムをたたき出しました。
ところが、当の大迫傑選手は、3位という順位に納得できず、はいていたシューズを地面に叩きつけて悔しがっていたそうですよ。
全国3位なんて、私だったら大喜びしちゃうところですが、悔しいと思うこの気持ちが彼の更なる飛躍へと導いたのでしょう。
ちなみに、この走りを見た佐久長聖高校(大迫選手の進学する高校)の関係者からスカウトされ、親元を離れ単身で長野の高校へ進学することを決めます。
大迫傑は長野の佐久長聖高校出身!
大迫傑選手が通われた高校は、佐久長聖高等学校(さくちょうせいこうとうがっこう)です。
1964年に設立された学校です。
長野県の私立高校で、中高一貫教育の学校ですが、大迫選手は高校生になった時にこちらの学校に進学しています。
佐久長聖高校は陸上の名門。
多数のスポーツ選手を輩出しており、ベルリン世界陸上日本代表の上野裕一郎さん、ロンドン五輪陸上日本代表の佐藤悠希悠基選手などもこの学校のOBです。
スポーツ選手以外では、手相占いで有名な芸人、島田秀平さんもこの学校出身ですよ。
なんでも1番じゃなきゃダメな負けず嫌い
高校時代から負けず嫌いは有名でした。
全てが1番が良かったそうで、そのこだわりは半端なかったようです。
彼の高校3年生の時に、駅伝部寮「聖徳館南館」が完成したそうなのですが、引っ越し当日、玄関で真っ先に「1番」の下駄箱をキープしたんだとか。
また、高校の授業が終わると真っ先に帰寮し、練習に向かうのはもちろん一番。
練習後の帰寮も一番。
夕飯を食べ始めるの食べ終わるのも一番。
もちろんその流れでお風呂だって一番風呂だったそうです。
狙っているわけではなさそうですが、全ての行動が素早いために、結果的に一番になっていたようですね。
ですが、この意識が彼を成長させる原動力になったのは言うまでもありません。
日本を代表する長距離ランナーへ!
【高校2年】
- 5000mで史上4人目となる13分台を記録
- 全国高校駅伝でアンカーを務め区間賞
【高校3年】
- 全国高校駅伝に出場して1区で区間賞
- 世界クロスカントリー選手権ジュニアに出場し32位
陸上選手として覚悟の越境入学をした大迫傑選手は、猛者の集うこの高校でもその実力を示して見せました。
2008年、高校二年生としては史上4人目となる5000メートル13分台での走破。
更に二年生ながら全国高校駅伝ではアンカーを志願して区間賞獲得、佐久長聖高校を初優勝に導きました!
この時の大迫選手たちの記録は外国人選手を含まないチームでの記録としては過去最速だったそうですよ。
3年次の全国高校駅伝でチームは4位に終わったものの、自身は1区で区間賞を勝ち取っている。
引用:アスリートの原点
三年生の時も全国高校駅伝や世界クロスカントリー選手権などの大会で躍動しました!
悔しさを味わい続けていた高校時代
とても華々しく見える成績ですが、実は負けたり、悔しさを味わい続けていた高校時代でもありました。
1学年上の先輩に、村沢明伸選手(日清食品グループ)や佐々木寛文選手(プレス工業)など、強い上級生がおり、入学当初は存在感があまりなかったそうです。
そのため、1年生の時は、全国高校駅伝に出場することは叶いませんでした。
大迫傑選手が開花したのは、そんな最強な上級生との“朝練バトル”だったそうです。
高低差に富む佐久市内を、日替わりルートでジョグしていた。
しかし、毎週水曜日になると各選手の目の色が変わったという。
理由は大迫が上級生相手に「仕掛ける日」だったから。
選手たちはその日になるとレースシューズに履き替えるほど緊張感が増した。
人数の関係で先発組、後発組に分かれて出発するが、大迫はいつも後発組に入った。
すると上級生も大迫をつぶそうと、わざと後発チームに入ってスタートしたという。引用元:スポニチ
先輩たちに果敢に挑んでいった彼。
そんな一歩も引かない姿をみると、本当に真のアスリートなんだなと感じますね。
高校時代からメンタルも最強
佐久長聖高校駅伝部の監督を務めていた両角速監督は
「当時も今も変わらないのは目つき。負けたくないというのは、一生変わらないと思う。将来的には“世界”と言っていた」
と語ります。
高校2年生の時に、全国高校駅伝を制した大迫傑選手でしたが、その後故障に悩まされていました。
成績も芳しくなく、周囲からは「大迫も終わった」などという声も囁かれることもあったそうです。
そんな中、練習できないと体重が増えるからと食事では米を徹底的に抜く、糖質制限のダイエットをしていました。
食べ盛りの高校生の糖質制限は、かなり大変なものがありますが、それをやってのけるタフな精神力がありました。
その後、高校3年の時の全国高校駅伝で、1区で区間賞に輝いています。
大迫傑は早稲田大学出身!
大迫傑選手は、早稲田大学のスポーツ科学部を卒業されています。
早稲田大学の同学部は、北京オリンピックで活躍した長距離走の竹澤健介さんや、
同じく長距離走、バルセロナオリンピックで活躍した渡邉高博さんなども輩出しています。
陸上以外でも、競泳、リオ五輪のメダリストの瀬戸大地選手や野球、読売巨人軍で活躍した桑田真澄さんなどを輩出していますよ。
さすが名門ですね。
箱根駅伝で大活躍!
2010年に早稲田大学に進学すると、「大迫傑」の名前は世界でも知られるようになった。
引用:アスリートの原点
ということで、大学生となった大迫傑選手、その快進撃は留まるところを知りません!
【大学1年】
- 世界ジュニア選手権10000mで8位
- 第22回出雲駅伝に2区で出場
- 第42回全日本大学駅伝に2区で出場
- 第23回上尾シティマラソンで1時間01分47秒を記録(ジュニア記録の更新)
- 第87回箱根駅伝に1区で出場して区間賞
【大学2年】
- ユニバーシアード(深圳で開催)で28分42秒83のタイムで優勝
- 第88回箱根駅伝で1区を走り2年連続で区間賞
【大学4年】
- カーディナル招待で2位
- 日本人学生10000m記録更新
- 日本歴代4位の記録27分38秒31をマーク
世界ジュニア陸上競技選手権大会は20歳未満の選手の大会。
ユニバーシアードは「学生のためのオリンピック」と呼ばれる大会。
どちらも学生陸上界ではかなり由緒のある大会で。世界の舞台で自身の名を知らしめた大迫選手。
全日本大学駅伝は7人抜き、上尾シティマラソンではジュニア記録を更新。
箱根駅伝では2011年の第87回に一区の区間賞を獲得して早稲田大学を18年ぶりの優勝に導くなど大活躍!
「学生最強ランナー」の肩書で報道されたことも。
2013年の4月に開かれたカーディナル招待で日本人学生10000メートルの記録を更新、歴代4位の記録をたたき出しましたよ。
自由奔放な性格も
素晴らしい成績を残す一方、自由奔放で我が道を行くスタイルでもありました。
大学時代は、主将であるにもかかわらず、駅伝チームを抜けて、長期アメリカ留学をしてしまったことがあります。
チーム内の不協和音も囁かれたりすることもあったのだとか。
まあ、本当に自分のやりたいことをやる、とことん突き詰めるようなタイプの方なのでしょうね。
ちなみに、恋愛面でも我が道をいくスタイルだったのでしょうか。
早稲田大学時代にデキ婚されていますよ。
なんと元アイドルの女性と。
なかなか破天荒ですよね!笑
大学卒業後にプロ転向
大学卒業後、2014年に日清食品グループと所属契約。(2015年に契約を解消。)
その1年後にナイキ・オレゴン・プロジェクトとも契約しています。
現在はご夫婦で娘さん2人と共に、アメリカに在住しながら選手生活を送っています。
2018年にはシカゴマラソンで、日本新記録を更新。
2019年5月の東京オリンピック代表を決める大会では内定がもらえず苦しんだ時期もありましが…
2020年3月1日、東京マラソンで、男子マラソン代表の枠残り一つを大迫傑選手が見事勝ち取ります。
しかも、2時間5分29秒という新たな日本記録を自ら打ち立てて。
ちなみに、2回の日本記録樹立で合計2億円もの報奨金をゲットしていますよ!
素晴らしい快進撃ではないでしょうか。
東京オリンピックでの活躍も大いに期待できますね!
まとめ
今回は大迫傑選手の学歴を紹介しました。
スタートは陸上部のない中学校から、しかしその才能と行動力で名をあげ、陸上選手としてのスターロードを爆走しました。
今では押しも押されぬ名ランナーで、東京オリンピックにも内定!
現在は活動拠点をアメリカに置いていますが、母国での躍動に期待したいですね。